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(1997年8月)
by Sebastian Junger
The Perfect Storm
−パーフェクト・ストーム−
マリン・スポーツたけなわの今、クルーザーやビーチでの読書として人気を集めている本ですが、これを読んでしまうと、もう船に乗るのが恐ろしくなること請け合いです。そもそも、ボストンから夏休みでロサンゼルスへ遊びに来た友人が、「スティーヴン・キングの作品なんかよりも、よっぽど怖い物語だよ」と注釈付でプレゼントしてくれた本著、なるほど嵐に巻き込まれた漁船とその船員の運命のリアルかつ詳細な描写は息を呑む迫力で読者を引きつけます。あたかもノンフィクションのごとく綴(つづ)られた文体(スタイル)が新鮮な、サスペンス溢れる傑作です。1991年10月、マサチューセッツ州グロスターという古い漁港を出た漁船アンドレア・ゲイルは、漁を終えた帰途、カナダ沿岸のノーバスコシア沖へ差しかかります。そこで今世紀最大の台風(ストーム)「ハロウィーン・ゲイル」の直撃を受け、この3つの暴風前線が集結して生まれた大型台風の前には、いくら荒くれ者揃いの海の男達といえど為す術(すべ)がなく、60数フィートの船体はたちまち海の藻くずと化すのです。高波が船を砕くところから、海へ放り出された船員達の洋上を浮き沈みしながら溺死する様を、スロモーションのごとく克明に描きだし、読んでいると胸を締めつけられながらも、グイグイ物語の中へ引きずり込まれます。
事件発生以前まで遡(さかのぼ)り、ナレーション風に描かれる船員たちの素顔。先祖代々の漁民もいれば、1漁の報酬1万ドルが目当てで乗り込んでくる若者もいたり、出航前夜の彼らの酔っぱらいぶりなどは、200年前のアメリカ開拓時代となんら変わらぬ人間模様が窺(うかが)え印象的です。また、大洋へ出る漁船のテクニカルな描写や航海テクニックのトム・クランシーばりの詳細には、自らヨットマンである著者の本領が発揮され、その筆力は船のことを知らない読者も退屈させません。そういった描写に、由緒あるニューイングランド地方の漁港の風土や、そこで暮らす人々の情感などを織りまぜ、1枚の風景画が描きだされてゆきます。その淡々と描かれる風景画、静寂の支配する世界(イメージ)へ、われわれを誘(いざな)いながら・・・・・・
邦訳の表紙
風景画の世界(イメージ)は、いわば「嵐の前の静けさ」、その感触を覚えたところで次に備える心の準備が整い、次はいよいよテーマです。本著がページを捲(めく)り続けさせる魅力の原点といえば、やはり文豪メルビル(「白鯨」)やヘミングウェイ(「老人と海」)の描いた究極の対決とも言うべき、「人間と海との壮絶な戦い」に尽(つ)きるでしょう。アメリカでは労働死の筆頭というだけで、漁の危険性が窺(うかが)えます。危険であれば、そこへ挑もうとするのは人間の本性です。アメリカで最も危険な職業といえば「航空母艦のジェット・パイロット」が浮かびます。まったく異質なようで、彼らの生き方(フィロソフィー)と漁師のそれに共通した男(「人間」と書くべき?)のロマンを感じるのは、人間誰もが持つ冒険への憧れではないでしょうか?ジェット・パイロットがどうあれ、本著のテーマは、船員達個人個人の人間ドラマと、台風という自然の猛威が交差する部分での壮絶な戦いです。人類の力ではどうしようもない天災に遭(あ)った時の儚(もろ)さ、そして人生最後の瞬間に脳裏を駆けめぐる様々な想いなど、ふだん海の怖さと無縁の僕でさえ、読みながら背筋が凍り、恐怖のどん底へ落とし込まれました。
呼吸困難に陥(おちい)るのは苦しいでしょうが、肺へ海水を呑みこみながら溺れてゆくのも悲惨です。その生々しい状況を、一刻一刻、客観的かつカメラのごとく正確な描写で表わした文章は、読んでいるだけで息苦しく、まるで自分自身が溺れかかっているような錯覚を起こします。リアリティーを感じさせる上で、フィクションらしくない文体(スタイル)の貢献度は大きいでしょう。ただ、そればかりでなく、本著が強力な説得力を持つのは、なんといっても筆者の力量ゆえです。
殺人事件もなければセックス場面もない小説ながら、過去300年間で1万人以上もの死者を出したグロスターの町にまつわる因縁や、海で死んだ人々と残された者の葛藤のドラマ、そして恐ろしいまでも冷酷な海の魔力で読む者を戦慄の世界へ誘(いざな)う力作。とにかく、各場面の鮮明な描写は、読書をしているというより、アンドレア・ゲイルの甲板で実際に台風と戦っているような、恐ろしいまでの臨場感を伴い迫ってきます。
読み終わった僕が、近い将来必ずや映画化されると確信したほど強烈なインパクトや、「ジョーズ」で代表される一連の海洋ホラー作品とはひと味違う「背筋の寒くなる」ストーリーが新趣向のドキュメント風小説です。本格的な夏を迎えた今、「納涼読書大会」にもお薦めしたいこの「パーフェクト・ストーム」、(暑くてやりきれない時など)ぜひご一読ください!
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(1997年8月)
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