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(2016年2月)          


When Breath Becomes Air
ホエン・ブレス・ビカムス・エアー

by Paul Kalanithi (Author) and Abrahamu Verghese (Foreword)


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 ポール・カラニシによる本著「ホエン・ブレス・ビカムス・エア(息が空気になる時)」を読んだ後、読者は唖然とすると同時、希望を抱かれることでしょう。なぜ唖然とするかといえば、カラニシ医師のような並外れた才能のある人間が若くして他界したと知るからです。また、なぜ希望を抱くかといえば、37年の短い人生の中で彼は我々人類が到達できる最高の域まで登り詰めたからです。本著では神経外科医としてのカラニシ医師の人生や、進行する肺癌との闘いが描かれています。彼は学者、外科医、科学者、そして死後の今、作家として注目すべき業績を残しました。

 本著は苦難とそれに対する率直な反応の物語です。カラニシ医師の輝かしい経歴と彼が患った病気への屈服を拒否する両方での苦難、いわゆる伝記的な内容とは少し印象が違います。しかし、地味な内容ながら、本著で描かれた粘り強さ、静かな弾力性、率直な土臭さは読後も長く心に残るはずです。

 カラニシ医師が脳神経外科医および作家に至るまでを書いた最初の部分は、後の部分からほぼ独立した章といえます。勤勉なインド移民の両親の子としての生い立ちや、医学と文学への粘り強く情熱的な取り組み、また医学部で出会い、その後の人生で最後まで彼をサポートしたやはり医師である妻などについて自ら語っているのです。学歴だけでも傑出したものがあり、スタンフォード大学で生物学と文学を、その後ケンブリッジ大学で医学の歴史と哲学を、そして最後はエール大学で神経外科を学んでいます。

 類まれな努力の結果、脳神経外科医ばかりでなく説得力のある作家となった彼の文章を読むと、T・S・エリオット、サミュエル・ベケット、ローマ法王、ウィリアム・シェークスピアなどの引用がいたるところへ登場するのにお気づきでしょう。そんなカラニシ医師は、「技術の卓越性が道徳的な要求であることを教えてくれる」と語っています。いっぽう、夜勤の圧倒的なストレスや週100時間の労働、そして相次ぐ急患は、彼を瀕死の涙の雨で濡れた無限のジャングルの夏に閉じ込められたと時おり感じさせました。本著でカラニシ医師が書いている内容は、頭で考えたり心で感じたのではなく、彼の魂の叫びです。彼の死がオリバー・サックスやマハトマ・ガンディーと匹敵する人類への損失であるのは間違いありません。

 カラニシ医師が突如として医師から患者にの立場変わり、破壊的な病気と死の淵へ立たされる経緯(いきさつ)は2部で詳しく書かれています。ちょうど鏡の反対側にシフトしたごとく、自分の身体へ何が起こっているかを知るカラニシ医師は、驚き、涙、希望、致命的な病気に対する理解などを率直に綴(つづ)っているのです。ある時点で癌がほとんど消滅し、彼は妻と再び未来の計画を立てた後、再発して仕事を辞めざるをえなかったという悲痛な記述があります。そこへいっさい虚勢はないのです。

 なぜ本著が貴重かといえば、賢明に現状を受け入れ、生と仕事と愛への希望と粘り強い要求をもって、末期の病気はどのようなものかを読者に疑似体験させてくれることです。当初、ガンと診断されたカラニシ医師が、正常な生活を送るため懸命な努力をします。医師として手術室へ戻り、家族と過ごし、そして何よりも子供を作ることにするのです。彼の日々の戦いのいくつかの局面は、レベルこそ違え我々が日常的に直面する戦いでもあります。そして、彼の戦いのパートナーは妻のルーシーでした。あたかもカラニシ医師自身が書いたかのごとく「あとがき」も、じつは彼女が書いています。

 その「あとがき」でルーシーが書いているとおり、本著は諦めることを拒否して病気を克服した男のシンプルな物語ではありません。そういう要素もありますが、それよりは不確実性と絶望の、そして冷笑と怒りの、もっと人間らしい失敗と恐怖の物語なのです。と同時、科学の物語でもあり、2歳の娘が大きくなって本著を理解すれば、彼女への素晴らしい遺産でもあるとわかるでしょう。


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