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(1996年3月16日)          




出稼ぎパワー

最新作“暗殺者”を含む最近の4作品すべてが転けてしまったにもかかわらず、20億円という破格のギャラを稼ぎ、大手スタジオと3作契約を結ぶなど相変わらず威勢の良いシルベスター・スタローンですが、その秘密はいったい何なのでしょうか? じつは、彼やマイケル・ダグラスはアメリカ国内における興業収益よりも海外収益のほうが遥かに多く、製作するスタジオもそれを計算に入れて莫大なギャラを支払うわけです。そこで、声の吹き替えや字幕を通じ、海外で稼ぎまくるスター達を序列してみました。


主演級スター(米国内でも同等の実績):

トム・ハンクス ・・・・・・ "フォレスト・ガンプ”の海外収益347億円はアメリカ国内収益300億円と並ぶ
トム・クルーズ ・・・・・・ "ヴァンパイア”は国内105億円、海外116億円
ハリソン・フォード ・・ "逃亡者”海外収益145億円
メル・ギブソン ・・・・・・ "リーサル・ウェポン3”国内145億円、海外175億円
ケヴィン・コスナー ・・ 最近の3作“ワイアット・アープ"、"パーフェクト・ワールド"、"ウォーター・ワールド”すべて海外収益が国内収益を上回る
マイケル・ダグラス ・・ "氷の微笑"、"ディスクロージャー”共に海外収益のほうが遥かに多い

アクション・スター:

シルベスター・スタローン ・・・・・・・・・・ "クリフハンガー"、"デモリッションマン"、"スペシャリスト”すべて海外収益は100億円を越す反面、アメリカではその半分
アーノルド・シュワルツェネッガー ・・ "トゥルー・ライズ”国内146億円、海外219億円
ブルース・ウィリス ・・・・・・・・・・・・・・・・ "ダイハード3”海外収益が国内収益の2倍
スティーブン・セガール ・・・・・・・・・・・・ この人だけは、なぜか海外市場での売上が今いち

コメディー・スター:

その昔、ジェリー・ルイスがヨーロッパを中心とした海外で大人気を博して以来、アメリカ的ユーモアは海外で低迷ぎみだったものの、ロビン・ウィリアムス("ミセス・ダウト")とウッピー・ゴールドバーグ("天使にラブソング")がかなりの収益を上げ、ジム・キャリーの“マスク”に至っては何と国内収益120億円を遥かに上回る200億円の海外収益を上げました。

老練スター:

海外、特にヨーロッパでは「皺くちゃパワー」とも言えるベテラン・スター、クリント・イーストウッド("マジソン群の橋")、ショーン・コネリー("ファースト・ナイト")、ダスティン・ホフマン("アウトブレイク")、ジャック・ニコルソン("バットマン")が、若手スターに負けない収益を上げています。

女性スター:

ジョディー・フォスター("羊達の沈黙")、デミー・ムーア("ディスクロージャー")、シャロン・ストーン("スペシャリスト")等の限られた女優のみが多大な海外収益を上げています。

若手スター:

キアヌ・リーブス、サンドラ・ブロック、ブラッド・ピット、ジョン・トラボルタ(若手といえたのは"サタデー・ナイト・フィーバー"の頃かな?)が、最近台頭し始めた海外でも収益を上げられるスターです。




7人の

これまでブロッコリー一族が製作した一連のボンド映画での主演5人、そして1954年にTV映画として製作された“カジノ・ロワイヤル"と、同じく1967年に製作されたコメディー版“カジノ・ロワイヤル”は、かなり毛色が違うボンド映画ながら、これら2作を含めると、現在までにちょうど7人の俳優が007を演じてきました。最新版ピアース・ブロズナンに至るまで、それぞれの歴史を振り返ってみましょう。


バリー・ネルソン:

1954年にイギリスの俳優バリー・ネルソンによって演じられた最初のボンド映画は、イアン・フレミングの処女作“カジノ・ロワイヤル”をTV化したものでした。ただし、女王陛下のスパイのはずがアメリカのスパイ“ジミー・ボンド”となっていたり、内容はかなりアレンジされ、今の007のイメージとは程遠いボンドでした。

 
ショーン・コネリー:

彼の演じるボンドこそ007の典型。1930年にスコットランドで生まれ、俳優になる前は有望なボディービルダーでモデルとしても活躍していました。“007は殺しの番号/ドクター・ノー"(1962年)を皮切りに“ロシアより愛をこめて"(1963年)、“ゴールドフィンガー"(1964年)、“サンダーボール作戦"(1965年)、“007は二度死ぬ"(1967年)、1971年にカムバックした“ダイアモンドは永遠に"、そして1983年に再度カムバックした“ネバー・セイ・ネバー・アゲイン"("サンダーボール作戦"のリメイク)の7本で主演し、世界にジェームス・ボンドの名を轟かせました。

デビッド・ニーブン:

1967年に製作されたコメディー版“カジノ・ロワイヤル”は、ニーブン演じる引退した老後のボンドが再び現場に呼び戻されて活躍するストーリーで、なぜかマタハリまで出てきます。また、ウディー・アレンがボンドの甥っ子役で登場したり、ピーター・セラーズやオリジナル・ボンド・ガールであるアーシュラ・アンドレスをはじめ、多彩なキャスティングで当時の話題を呼びました。ちなみに、ニーブンの起用は原作者フレミングの希望。

ジョージ・レーゼンビー:

1939年にオーストラリア生まれの彼は、売れっ子モデルとしてロンドンで活躍中ボンド役に抜擢されましたが、演技力のなさと固さから“女王陛下の007(1969年)”1作のみで降板となりました。後にTVヒット・シリーズ“0011ナポレオン・ソロ”が映画化された時、1場面だけアストン・マーティンに乗った彼がジェームス・ボンド役で出演しています。

ロジャー・ムーア:

ロンドンで1927年に生まれた彼は、コネリーと共に最初のボンド選考にも残った実績で温和なボンド役を演じ、どちらかといえば格闘して危機を逃れるより、巧みな話術で敵を騙すダンディーな演技で人気を博しました。“死ぬのは奴らだ"(1973年)、“黄金銃をもつ男"(1974年)、“私を愛したスパイ"(1977年)、“ムーンレイカー"(1979年)、“ユア・アイズ・オンリー"(1981年)、“オクトパシー"(1983年)、“美しき獲物たち"(1985年)の7作に主演。

ティモシー・ダルトン:

1946年ウェールズ生まれでシェークスピア劇の舞台出身の彼は、伊達男で気楽なロジャー・ムーアのボンドから、屈強で男らしいボンドに変革させようとしたものの、観客の反響は今ひとつでした。ボンド映画初のRレイト(リストリクティド、17歳以下は親同伴)となった“リビング・デイライツ"(1987年)と“消されたライセンス"(1989年)の2作で主演しています。

ピアース・ブロズナン:

1952年アイルランド生まれの彼は、1987年の“リビング・デイライツ”でダルトンと新ボンド役を競いながらも、当時主演中の人気TVシリーズ“レミントン・スティール探偵所”から契約上抜けられず、今回のデビューとなりました。彼の新ボンドはハードボイルドな面とユーモラスな面とを兼ね備えた“'90年代の007”というふれ込みで、今のところ3本契約を交わしていますが、さてどうなるのでしょうか? “ゴールデン・アイ”を見た限りでは、なかなか良さそうですよ! ちなみに、そもそも彼が俳優を目指したきっかけは、コネリーのボンド映画に触発されたからです。

以上の映画ポスターがご覧になりたいかたは、ヨコチン・ページの1月号エッセイ関連資料「ボンド映画ポスター」を参照してください。同じく「ボンド小説リスト」では原作小説の詳細が掲載されています。





サントラ・パーティー

ホイットニー・ヒューストンの最新作“ため息つかせて”のサウンド・トラック盤の発表パーティーが、ビバリーヒルズ・ホテルで共演者のアンジェラ・バセット("ティナ")、“クライング・ゲーム”等での名俳優で、この作品の監督を務めたフォレスト・ウィデカー達が出席して催されました。このパーティーの司会役を買って出たのは、何とホイットニーの所属するレコード会社の社長クライブ・デービス自身で、映画に使用されたホイットニーの新曲はもちろんのこと、パティー・ラベル、アレサ・フランクリン、TLC、シャカ・カンといったアーティスト達の14曲を披露。また、ご主人のボビー・ブラウンとの別居が噂されている彼女は一人で出席し、パーティーを盛り上げていました。この作品の前評判が高いウィデカー監督の次回作は、ロバート・デュバル("テンダー・マーシー”でアカデミー賞受賞)、ジョン・トラボルタ主演の“フェノミノン(異常現象)”の予定。




(1996年3月16日)

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