スター・コレクション・ポスター集
−ハンフリー・ボガート−
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この「スター・コレクション・コーナー」も3年目に入ったところで、これまでとは少し趣向を変えて3回にわたる「クラシック・シリーズ」をお届けします。その第1弾がハンフリー・ボガート、続いてはマリリン・モンロー、エルビス・ブレスリーが登場する予定です。さて、「ボギー」の愛称で知られるボガート、本名はハンフリー・デフォレスト・ボガートで、マンハッタンの外科医である父親と雑誌のイラストレーターである母親のもとに、1899年1月23日ニューヨークで生まれました。中学から私立の進学校へ入学し、エール大学の医学部を目指した彼は、私立の名門フィリップス校を態度が悪いという理由で追い出されたため、医者の夢は諦めて海軍へ入隊します。
この頃、戦場で負傷し、顔の一部が麻痺するようになった結果、後のトレードマーク「ボガート・スナール(薄ら笑い)」は生まれるのです。そして退役後、ブロードウェイの舞台で下積み生活を続けながら、160センチの身長を克服して20世紀フォックスとの契約へ漕ぎ着けるのが1930年のことでした。
2年後に解雇された後も持ち前の負けん気を発揮、1936年エドワード・G・ロビンソンから「化石の森」の主役を奪い、ワーナーブラザーズと長期契約を結んでからは、1940年までの4年間でなんと28本の映画へ出演し、「ギャング俳優」の地位を固めます。
続いて、1941年の「マルタの鷹」、1942年の「カサブランカ」、1946年の「三つ数えろ」、1948年の「キー・ラーゴ」と、続々ヒットを飛ばしスター街道を駆け上がるボガートは、1948年、自ら設立したプロダクション会社でかの名作「黄金」を製作し、「アフリカの女王」でとうとうアカデミー賞主演男優賞に輝くのです。
美貌の女優ローレン・バコールは4度目の結婚相手ですが、1945年に結ばれて以来、2人の絆はボギーが咽頭癌のため58歳の若さで他界する1957年まで固く結ばれ、ハリウッドのオシドリ夫婦として名を馳(は)せました。ちなみに、1949年、戦犯東京ローズも登場する「東京ジョー」を早川雪舟と共演で撮っています。(1999年1月)
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