スター・コレクション・ポスター集
    −ドウェイン・ジョンソン

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スニッチ

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G.I.ジョー
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SHU715
Faster

ファースター

カリフォルニア州ヘイワードで1972年5月2日に生まれたドウェイン・ジョンソンは、父がカナダ生まれのプロレスラー、ロッキー・ジョンソンで、ブラック・ノヴァ・スコティアの子孫でした。また、母のアタ・ジョンソンはサモアの血を引き、彼女自身の父親もプロレスラーという家系です。幼いドウェインが旅から旅の生活をつづけながら、リンク上の父親を見て育ったことは、その後の生活へ大きく影響します。

高校時代にフットボールを始め、そのおかげでマイアミ大学の奨学金を獲るも、1995年、背中を痛めてNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)の夢が立ち消えてしまうのです。レスリングへ転向したジョンソンは、USWA(合衆国レスリング協会)よりフレックス・カヴァナーの名でデビューし、チャンピオンシップを獲得します。翌1996年、WWE(ワールド・レスリング・フェデレーション)に加入してロッキー・マイヴィアと名前を変え、どんどん頭角を現わしてゆくうち、「ザ・ロック」として知られるようになりました。

そんな彼の転機となるのが映画「ハムナプトラ2・黄金のピラミッド(2001年)」への出演で、いったんWWEの試合から抜けます。この年は映画の出演に先立ち、娘のシモーネ・アレクサンドラが生まれました。本格的な映画出演は続く「スコーピオン・キング(2002年)」が最初となり、この時のギャラが550万ドル(約6.6億円)で、ギネス・ブックへ1作目の最高額を稼いだ俳優として乗るのです。

その後も「ランダウン ロッキング・ザ・アマゾン(2003年)」、「ワイルド・タウン/英雄伝説(2004年)」、「Be Cool/ビー・クール(2005年)」、「ドゥーム(2005年)」、「サウスランド・テイルズ(2006年)」、「ギャングスターズ 明日へのタッチダウン(2006年)」、「ポリス・バカデミー/マイアミ危機一髪!(2007年)」、「ゲーム・プラン(2007年)」、「ゲット スマート(2008年)」、「ウィッチマウンテン/地図から消された山(2009年)」、「プラネット51(2009年)」と数々の映画に出演し、俳優としての実績を着々と築いてゆきます。

2008年、長年連れ添った妻のダニー・ガルシアと」離婚したジョンソンは、2010年代に入るとますます忙しくなり、2010年だけで「妖精ファイター」、「ホワイ・ディッド・ユー・メリード・トゥー?」、「アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事!」、「ユー・アゲイン」、「ファースター 怒りの銃弾」の5作へ出演するという売れっ子振りです。

翌2011年、「ワイルド・スピード・シリーズ」5作目の「ワイルド・スピード MEGA MAX」がヒットし、以後、このシリーズで欠かせないキャラクターとなる他、「センター・オブ・ジ・アース2 神秘の島(2012年)」を経て2013年は「オーバードライヴ」、「G.I.ジョー バック2リベンジ」、「ペイン&ゲイン 史上最低の一攫千金」、「ワイルド・スピード EURO MISSION」、「11ミリオン・ジョブ」と再び忙しい年になります。

去年の主演作「ヘラクレス(2014年)」が今いちであったとはいえ、今年も先月(4月)公開されたばかりの「ワイルド・スピード SKY MISSION(2015年)」が好調で、この後は「カリフォルニア・ダウン」が控えるジョンソン、映画で忙しい中、時々レスリングへ復帰している彼は、WWEで7回の世界チャンピオンに輝く唯一のプロレスラーでもあるのです。(2015年5月)

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