空港を目指して走るパリ


 そもそも、パリ→デュッセルドルフ→ハンブルグ→ロンドンの出張は出だしからドサクサだった。ルフトハンザ機でロサンゼルスを飛び立ち、パリのシャルル・ドゴール空港へ着いた私が、友人でありビジネス・アソシエーツでもあるHと合流するため向かった先はセーヌ川左岸、かのラテン区(クォーター)だ。

 大阪の実業家、Hが社員を引き連れ、慰安旅行にパリを訪れたのは数日さかのぼる。慰安旅行が終わるタイミングを見計らって私はパリへ飛び、社員を帰したHとドイツで商談をまとめる段取りであった。着いて丸1日半、帰国間際の社員達と観光気分に浸り、ラテン区のホテルで彼らを見送った後、とりあえず一息つく。

 ドイツへ向かう飛行機の時間に余裕があるので、我々は明日への鋭気を養うべくドン・ペリニョンを注文する。このホテルのロビーでシャンパンを頼む客が稀なせいか、ボーイの持ってきた瓶はヴィンテージに近い。一口飲んだら保存状態も良く、上機嫌でグラスを傾けるうち、どんどん時間が経つ。

シャルル・ドゴール空港ターミナルの
空中で交差するプラスチック・ドーム

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 かつて、プロダクションの仕事で撮影クルーを引き連れ、知らない街を走り慣れたせいか、私の場合、前もって地図を確かめると安心する悪い癖がある。おかげで、前日の市内観光中借りたレンタカーでシャルル・ドゴール空港を目指す頃、残り時間はぎりぎりもいいとこだ。

 初めて走る道をぶっ飛ばしつつ、信号待ちの間、並んだ車へ間違いないか問いかけるが、相手によってはフランス語しか返ってこない。以前、この国を訪れた時、英語が理解できても知らん振りをするフランス人の態度は、それなりの説得力があった。しかし、今は違う。そんな心の余裕など、これっぽっちもない。こっちが質問して英語で応えようとしない相手は無視、「○○○○・ユー!」と叫び、次の信号待ちまでひた走る。

 結局、私が地図で計算した所要時間こそ正しかったものの、空港へ着くと出発までの猶予はわずかしか残されてない。しかたなく、正面玄関でHを降ろすや、私がレンタカーを返し搭乗手続きを済ませる間、日本から貴重品を持ち出した彼はカルネの手続きと、二手に分かれて駆け出す。いろんな映画でお馴染みの、空中をプラスチック・ドームが交差する空港ターミナルで、全力疾走する日本人2人の姿は漫画(カリカチュア)だったろう。

 そんな我々が逆方向から搭乗ゲートへ同時に駆けつけると、エアーバスのドアは閉まり、ブリッジが離れようとしている。それを戻してもらい、ドアが完全に開くのも待たず、機内へ飛び込む。感じのいいスチュワーデスに案内され、ようやく安堵感を覚えかけたら、座るより早くエアーバスは移動を始めていた。

 全開のエンジンが唸り、離陸態勢を整えた機体は、ブレーキが放たれる瞬間を今や遅しと待ち構える。しかし、私はスチュワーデスのくれたシャンパン片手に、あわただしくシートベルトを着けながら、離陸寸前の快い緊迫感どころか、空港ターミナルを駆け抜けた余韻が五感をそっくり支配したままなのだ。

 離陸後、機体はグイグイ上昇を続け、間もなく機内サービスが始まる。2杯目のシャンパンを飲む私とHは、いぜん息が乱れていたのは言うまでもない。いやはや、おもしろい旅ほど疲れるってことか!?

横 井 康 和        


著者からのお断り 

このエッセイは、“US JAPAN BUSINESS NEWS”の別冊“パピヨン紙”に、“ヨコチンの−痛快−大旅行記”として連載されたものの一部です。


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