アロハ!


 いろんなところへ旅をするうち、移動中、あるいは宿泊先でのトラブルが尽きない。ハワイは一時期、よく行く機会があった。南国特有のノリと観光地特有のノリをミックスしたハワイのノリは、とくに仕事絡みで行くと苛々させられることがある。ホテルのオーバーブッキングや、予定通りの時間にチェックインしようとすれば部屋の準備はまだ、などというトラブルが少なくない。

 ただ、こうした問題はある程度予測できることなので、さほど気にならないが、文句だけは言わないと相手がつけあがる。そして、ちゃんとした業者なら、それ相応の対応をするものだ。ともあれ、「ハワイ時間」は「メキシコ時間」ほどひどくないが、それでも「5分待ってくれ」と言われたら、私の場合、20分は覚悟しておく。いつだったか、出張がてらホノルルへ行った時も、その調子で文句の多い数日を過ごした一方で、これといった大きな問題がないまま帰途に就いた。
ホノルル国際空港
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 帰りは、この旅行記を連載し始めて以来、よく登場する実業家であり友人のHが一緒だったため、ふだんはビジネス・クラスの私もアメリカン航空のファースト・クラスだ。余裕を持ってチェックインを済ませ、ほとんどの乗客が搭乗手続を済ませたタイミングを見計らってゲートに向かう。狙いどおりゲートは空いており、かといってまだ少し時間があるので焦る必要はない。管制塔の方角へ振り返り、

 「アロハ!」と、無言で別れを告げた私は、Hと並んでアメリカン航空のボーイング747機に乗り込む。ところが、いざ席へ着こうとしたら、

 「すいません。あなたがたが来られるかどうかわからなかったので、予約席はビジネス・クラスのアップグレードに回してしまいました。別の席へ座っていただけますか?」私のチケットを見たパーサーが問いかける。Hとは離ればなれの席しか残っていないらしい。また、当時は私自身まだ煙草を吸っており、太平洋航路にも喫煙席があった時代なので、別の席では煙草が吸えるかどうか確かめると、彼女の答は「ノー」だ。

 こっちのチケットが通常価格のファースト・クラスであり、チェックインも早めに済ましている以上、常識的に考えて、まずはアップグレードの客を別の席へ移すよう交渉すべきだろう。私がそう提案すれば、パーサーはいったん座らせたので駄目だと、頭から交渉をする気がない。日本人だから甘く見ているのかと思いつつも、トラブルを避けたい私は、別の席で妥協する代わり、煙草だけ吸わせてもらうと主張する。

 いかにも気が強そうな白人のアングロサクソン系パーサーに、それも拒否された私は、別の席で煙草を吸えないなら元の席を空けるか、駄目なら何と言われても吸う・・・・・・しばらく押し問答が続くうち、私はふとアップグレードの客が、そもそも喫煙席かどうかを聞いてみると、違うらしい。これで、ますます譲る気はなくなった。

 どう考えても相手のほうが理屈は通らない。機がゲートを離れ滑走路へ向かう間も討論は続く。埓が明かなくなって、最後にパーサーは、
 「もし、あなたが言うことを聞けないのなら、機をゲートへ戻して降りていただきますよ、わかりましたね?」こう言われると売り言葉に買い言葉で、
 「上等じゃないか、戻してくれ!」と、吐き捨てた私を睨み、
 「わかりました」

 機長へ話をするためパーサーが操縦席に消えて間もなく、今度は彼女の代わり機長本人が私のところへやって来る。内心、別の便で帰る覚悟を決めた私に、彼は無条件で謝ったかと思えば、なんら異議がなさそうなアップグレードの客を移し、我々の予約席を空けてくれたのだ。問題はあっさりと解決し、呆気にとられる2人の日本人へ笑みを残し、大柄の機長が操縦席に去ってゆく。

 さあ、こうなると面白くないのはパーサーだ。著しくプライドを傷つけられたのが、もろ態度に出ている。L・A・X(ロサンゼルス国際空港)までの数時間、私は彼女が近づくたびに刺すような視線を感じ、いくら自分の主張が通り、いくら機内サービスは申し分なかろうが、決して居心地は良くない。

 こうして嫌な思い出として残りそうだった飛行機旅が、サスペンス映画のドンデン返しならぬ意外な方向へ展開するのは、間もなくエンディングを迎えようとする頃だ。ボーイング747機が着陸態勢に入り、私は到着前独特の高揚感を味わっていた。と、それまで私を避けていたパーサーが、突然、私の横の通路でしゃがみ、同じ高さから私をまっすぐ見つめる。その真剣な眼差しに、私は身構え、相手の言葉を待つ。数秒間、躊躇した彼女が、

 「ホノルルを離陸してから、私、ずっと考えたんです。あなたのおっしゃったことも一言一言反芻してみました・・・・・・」さらに数秒、間を置き、「あなたのおっしゃったことは、すべて筋が通っています。間違っていたのは私のほうです。申し訳ありません!」

 ただでさえ美しくて意志の強そうな女性に弱い私が、誠意を込めて謝られると、もう駄目だ。不幸を知らず幸福は実感できず、愛情と憎しみが表裏一体であるごとく、数時間の不快感は逆作用を及ぼす。その間、私へ憎悪の念を抱いていたであろうパーサーが謝るまでには、かなりの決意を要したはずだ。だが、決意した瞬間、マイナスのエネルギーはプラスのエネルギーとなる。謝ってくれたことへお礼を言って、彼女が持ち場へ戻った後は、形容しがたい爽やかさが私の心を満たしてゆく。着陸したボーイング747機から降りる途中、私を見て微笑むパーサーへ、

 「アロハ!」と声をかけ、エンディングを迎えた出来事(エピソード)・・・・・・ほんの些細な出来事ながら、まったく予想外の展開は大きなインパクトを残し、随分時間が経った今でも、この飛行機旅だけは清々しい思い出として私の脳裏に焼きついている。

横 井 康 和        


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