映画と投資


 アメリカでは映画に投資したければ、個人レベルから企業レベルまで、そして一口百ドル単位から億を超す単位まで、幅広くチャンスが転がっている。ハリウッドはいつだって投資家たちへ強力な魅力を持っており、たとえばカリフォルニア州カーメル市の「ポール・ケーガン・アソシエーツ社」で毎年何億ドルもの投資を行っている他、かつて「E・F・ハットン社」が映画協同体「シルバー・スクリーンV」のため3ケ月間で3億ドルを掻き集めた時、それは「ウォルト・ディズニー社」が新たに製作する映画20本分の財源として使われた。

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 「世間に知られない不動産の一部を所有するより、ヒット映画の一部を所有するほうが楽しいじゃないですか!

 これは「メリル・リンク・ピアース・フェナー・アンド・スミス社」のエンターテイメント・アンド・メディア分析家ハロルド・ヴォーゲルの言葉である。相手が日本の投資家だと、これではとてもじゃないが説得力に欠けるだろう。じっさい、今まで日本からの投資は、「ソニー社(コロンビア)」が健在である以外、散々たる現状だ。

 ともあれ、映画へ投資したとして儲かるかどうかは、それが当たるか当たらないかで決まることは言うまでもない。ここ何年かの世論調査で映画の動員率が高いということは、投資家へ素晴らしいニュースだ。そのほとんどが家庭での鑑賞であり、いわゆる補助市場から上がる映画の収益は、今や興行収益を上回るまでに膨らんでいる。

 補助市場とは名前のごとく劇場での興行を補助する市場、ビデオ・カセットおよびDVDの製造元や販売網、そしてケーブルTV局独立TV局を含む。過去十数年間、ケーブルTV局が求める映画の需要は膨張を続け、独立TV局がそれを倍増した。こうして映画のための市場が、より開けた結果、版権所有者には、よりそこで儲けるチャンスが増す。

 しかし、どれだけケーブルTVが映画に飢えていようと、駄作へ大枚をはたく気はしないはずだ。そこで、ヒット作の選択が投資の際、重要となる。では、いかにして選択するか?・・・・・・もちろん、できっこない。この業界はあまりにも狂っている。次に何が流行るかなど、誰にもわからないのだ。そうなると、投資家へ残されたコントロール可能な部分は契約内容ぐらいといえよう。

 これでなおがんばるなら順序として、まず2千ドルなら2千ドルと投資額を決定する。そして、2本なり20本なり対象となる映画を選び、それぞれの割当を決めてゆく。いったん投資が終わったあとは、何も期待してはいけない。また、各映画が別個である以上、署名するのは各契約書を慎重に検討してからだ。最初の落とし穴は、その時プロデューサーが早口でまくしたてるコンセプト・・・・・・がいして口車に乗せられがちだが、たいせつなのはコンセプトでなく映画そのものである。

 続いて契約から製作まで、これがもっとも危険な段階だ。どうせ保証された市場などないのだから、プロジェクトを物にするか、あるいは完璧な脚本として売りさばく・・・・・・そこあたりへ個々の投資家は気をつける必要がある。とはいえ、じっさいに製作が始まって金が動きだすまで、脚本の評価すら容易ではない。

 製作完了後、フィルムが缶に納まれば、そのうちどれだけの権利を所有できるか再確認・・・・・・プロデューサーは往々にして一般投資家が介入する前、資金集めに補助市場の権利などを売り払っていることがあるからだ。そこから先、このがどれだけ稼いでくれるか、大きな分かれ道でもある。たとえば予算が4千万ドルの映画として、興行前に諸権利の売却で3千万ドルを回収したとすれば、その差額を興行で稼げばいい。しかし、これだと儲けに対するポテンシャルを封じ込めてしまうことになる。もしかしたら3千万ドルは6千万ドルに化けるかもしれず、かといって逆のケースが起こり得るし、要は映画次第ということだ。

 投資家の要求を突き詰めれば、単数であれ複数であれ投資した映画ができるだけ多くのドルを稼ぐ・・・・・・当たり前である。ただ、こう言うと簡単だが映画の選択一つとっても考慮すべく要素(ファクター)は多い。とくに個々の投資家をまとめて投資する側は大変だろう。1億ドルの映画1本を選ぶか2千万ドルの映画5本を選ぶか、もちろん前者より後者のほうが本数も多いだけ堅いいっぽう、個々の投資家は自分の投資した映画がオスカーを獲得することを期待している。

 いくら確実でも煩作へ投資したくないのは人情だ。それを代表して5本の代わり1本の映画を選んだ場合、興行成績がトントンになるまで冷汗ものに違いない。また、代表して選択するとなれば契約時の責任だってドッと増える。儲けの歩合(パーセンテージ)を決めるのも、グロスネットでは随分違う。仮にネット(経費を回収してから)の歩合(パーセンテージ)だとすれば、いよいよ騙されたようなのもだ。

 なんといっても「No business like show business!(ショーほどややこしい商売はない!)」のだから、金が消える場所にはオープニング・ナイトのパーティー経費からリムジンのガソリン代にいたるまで事欠かない。やはり理想的なのは、グロスの上がりより最優先権をもって投資分を回収できる契約だ。プロジェクト生命の続く限りチビリチビリと儲けるのは、あまりスマートではない。ただ、私の場合、これまで音楽プロデューサーとしてレコードの原盤制作へ投資してきたのを勝負にたとえれば、負けが込んでいるようで大したことを言える立場ではないのだが・・・・・・まあ、そのおかげでアメリカの永住権を取得できたんじゃないかと、自分で自分を慰める次第である。

横 井 康 和        


著者からのお断り 

このエッセイは、拙著“三文文士の戯言(1989年)”から一部抜粋し、加筆再編したものです。

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