ニューヨーク・ニューヨーク (その3)


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プラザ・ホテル
 '80年代は頻繁に通ったニューヨークも、'90年代へ入ると訪れる機会が減ってゆく。ここ数年はニューヨークばかりか東海岸全体が、すっかり私の生活から遠のいてしまった。そして、しばらく離れてみると改めて郷愁のごとき想いを抱くようになる。

 セントラル・パークで一夜を明かしたところから始まって、後半は「ワルドーフ・アストリア・ホテル」や「プラザ・ホテル」へ泊まろうと、いつも仕事に追われ、その落差の激しさを感じる余裕などなかった。たとえ余裕があろうと、小説のネタ探しを始めたりするので同じことだ。たとえば、音楽関連のあるコンベンションへ参加するため「プラザ・ホテル」に滞在中、もしこのホテルを殺人事件の現場として使うなら?・・・・・・

 ふと思いついたおかげで、各階の非常階段の位置や1階ロビーの裏側にある「オイスター・バー」への通路を観察したり、気分はすっかり暗殺者だ。通路脇の店の従業員が観察している私へ目線を送っただけで、
 「おっ、ヤバイ!」と、突如ウィンドウ・ショッピング中の観光客を装う自分自身に反省しながら、頭の中では殺人現場の情景(シーン)が浮かぶ。すると、今度は殺した後の退路を探り始める。そうこうしながら、再び本来の目的であるコンベンションへ戻ったり、忙しいことこの上ない。

 また、知り合いの音楽プロデューサーT氏が夫婦で出席していたので、彼らをエンパイアステートビルの展望台に案内しながら考えてみると、私自身、観光客としてこのビルを訪れたのはこの時が最初であった。それまでの約20年間は、観光名所へ行く機会があったとしても、ほとんどは撮影などの仕事絡みだから嫌になってしまう。

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エンパイアステートビ
ル屋上の展望台にて
 ところで、そもそも私がニューヨークの「ワルドーフ・アストリア・ホテル」や「プラザ・ホテル」へ憧れを抱いたきっかけは、'70年代に入って間もなくロバート・ラドラムの小説を読み始めたことが無縁ではない。「ワルドーフ・アストリア」が、かつて「さゆり」の主人公、新田さゆりの滞在したホテルであるなど当時は知る由もなく、ただただラドラムの小説でさり気なく登場するそれらのホテルが格好いいのだ。

 中学から高校時代にジェームズ・ボンド・シリーズを読んだ頃はモンテカルロのカジノへさほど憧れなかったが、ラドラムの小説はいわば主人公と一緒にバーチャル・トリップを楽しめる。その舞台として登場した世界中の由緒ある高級ホテルへ憧れながら、いつしか憧れが現実となってゆく。そうすると、けっこう現実の世界はシビアーなことがわかる。

 古くて由緒あるホテルは、そのいっぽうで建物もくたびれていたり、近代化した設備が新しいホテルと比べて機能面で劣る傾向は避けられない。それで、なおかつ高い料金が取れるのは伝統があるからではなく、伝統に裏付けられたサービスを提供するからだ。客が気分良く滞在できるかどうかは、サービスのきめ細かさで決まり、これが顕著なのは何か問題が起こった時だろう。

 一流といわれるホテルの多くは、先の「プラザ」や「リッツ」しかり、さすが対処のし方もしっかりしている。ただ、いくらきめ細かなサービスを提供されようが、それらのホテルへ泊まるのは、気分良く滞在できれば仕事がはかどるからにすぎない。つまり、滞在中はサービスの良さを感心しているような心の余裕などなく、もし問題が起こって文句を言った場合、しっかり対処してくれなければ別のホテルへ移るだけだ。じつは、コンベンションの時も「ワルドーフ」でトラブッた結果、「プラザ」に引っ越すという曰くがあった。

 ラドラムを読んでバーチャル・トリップを始めたニューヨークへ現実の旅をして約20年後、この街とは疎遠になってきたが、それは私が世界のあっちこっちへ旅行しなくなった頃でもある。そして、新世紀に入って間もない2001年の春、ラドラムは他界した。これで私のニューヨークの旅が一つの区切りを迎えたのかもしれないと思いつつ、他界してなお生前でさえ考えられなかった4作の新著を出すラドラムのペースを見ていると、うかうかしてはいられない・・・・・・人生そのものが旅なのだから! (完)

横 井 康 和        


著者からのお断り 

1996年のサイト開設以来、「ハリウッド発 行ったり来たり」と題して連載を続けてきたこの旅行記も、今月をもっていったん打ち切らせていただきます。7年間のご愛読をありがとうございました。ここに改めて感謝の意を表します。


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