なぜWindowsの明日に勝ち目がないのか?


画像による目次はここをクリックして下さい  前回のテーマである「転換期へ差し掛かったコンピュータ」は、同時に衰退期へ入ったWindowsを意味します。つまり、この先どう転んでもMicrosoft社に勝ち目があるとは思えません。1996年以来、「Windows裏技集」としてお届けしてきた本コラムを今年から「コンピュータ・ライフ」のタイトルへ変更したのも、そんな時代背景が深く係わっており、今回は前回のテーマを更にMicrosoft社へ焦点を絞りながら考えてみましょう。

 コンピュータIT産業が急成長を遂げた「シリコンバレー時代」と切っても切り離せないのは、Microsoft社の台頭です。そして、彼らの成功を支えたのがWindowsであり、それを武器にMicrosoft Wordでワード・パーフェクトや日本語なら一太郎の占めていたワープロ市場を、Microsoft Excelでロータス123の占めていた表計算ソフト市場を、Microsoft Internet Explorerでネットスケープの占めていたブラウザ(閲覧ソフト)市場を、次々と崩してゆきます。裏返せば、まだパソコンがOSとプロセッサに依存する時代でした。

 この図式は、16ビットのWindows 3.xが32ビットのWindows 95へ大きく飛躍した後、どんどん進化を続けてWindows XPに至る間も、ほとんど変わりません。しかし、次のWindows Vistaではやや状況が違います。そもそもWindowsのターゲットは企業であったからこそ、マックなどの競争相手を退けて成功しました。Vistaの場合も、企業へ向けて2006年11月30日に投入後、1年数ケ月を経てXP以上の伸びと強気のMicrosoft社ですが、実態は順調とほど遠いものなのです。企業が新しいOSの導入へ慎重な姿勢を示すのは、旧バージョンを前提に構築した既存のシステムや導入済みのソフトとの互換性を検証したり、それらのソフトが新OSへ対応するまで待つ必要性を考えれば、Microsoft社の先の発表は疑問が多すぎます。

 同じような問題は、2001年11月にXPが投入された時も起こっている上、今回のVistaへの移行では従来と明らかに異なる水面下の動きが目立ちました。つまり、企業の情報システムへ果たすパソコンの役割は、これまでと変わり始めており、Windowsへの依存度が低下している事実の現われに他なりません。以前はワープロや表計算などのソフトをインストールして動かす機械というのが企業でのパソコンの位置づけであり、すべてのデータを処理するため、パソコンへは高機能なソフトを動かしたり複雑な処理能力が求められたわけです。

 そんな「常識」は、前回も述べたとおり、高速大容量(ブロードバンド)のインフラが整備されることによって、もはや根底から覆されようとしています。ここしばらくは、サーバにインストールした業務アプリケーションをブラウザから呼び出して使うWebアプリケーションや、SaaS(ソフトウェア・アズ・ア・サービス)などが存在感を増してきました。データはサーバ側で処理するため、必ずしもパソコンが高性能である必要はありません。また、ブラウザで動くアプリケーションを使うだけならWindowsへ拘る必然性もなく、それがVistaであろうとXPであろうと関係なく作動して当たり前です。こうした需要の高まりは、シンクライアントのような記憶媒体を持たないコンピュータが情報システムのクライアント端末として存在感を増している事実にも窺(うかが)えます。

 もちろん、現時点ではWindows上で動作するMicrosoft Officeなどのソフトが企業内で重要な位置を占めているいっぽう、もはやWindowsはVistaである必然性が薄いばかりか、そのOfficeでさえ企業によっては「マイクロソフトへのリベンジ」でご紹介したような他社のフリーソフトと乗り換えているところも少なくありません。加えて、顧客の論議の対象となったのが6から7にバージョンアップ後のInternet Explorerの互換性です。いい例は、ネットスケープがまだ主流だった頃、いち早く3Dを取り入れた故、主流はInternet Explorerへ移って3D機能が切り捨てられた後も「ハリウッド最前線」はそれを維持するネットスケープに固執せざるを得ませんでした。

 バージョンアップされたネットスケープが3D機能を切り捨てた時点で、「ハリウッド最前線」もまたデザインの基準を、もっともユーザーの多いInternet Explorerへ切り替えたごとく、求める側と与える側のバランスは状況次第であっさりと崩れます。ただ、ここまで普及したWindowsが、今日明日に消え去ることは考えられません。Vistaも自然と伸びてゆくでしょう。しかし、5年後や10年後が問題なのです。従来型のソフトは存続していようと、企業の情報システムへ先のWebアプリケーションやSaaS(ソフトウェア・アズ・ア・サービス)が占める位置は、ますます大きくなっているはずであり、その時Windowsがクライアント末端のOSとして主流であり続けられるかどうか、現状を見る限り不透明だと言わざるを得ないのです。

 Microsoft社の歴史はパソコンの歴史でもあり、そこで覇権を握ることができたのはハードの分野、つまりパソコン・メーカーや半導体メーカーと密接な関係を築き上げてきたからに他なりません。Microsoftがより高度な機能を搭載した新しいWindowsやOfficeを投入すればユーザーはそれを導入し、最新のCPU(プロセッサ)を搭載した高性能パソコンの需要が呼び起こされるという図式です。そんな循環を作り出すことで、Microsoft社で代表されるソフト・メーカー、パソコン・メーカー、Intel社で代表される半導体メーカーは共存共栄の仕組みを築きあげ、これを「エコシステム」と呼びます。

 くどいようですが、高速大容量(ブロードバンド)のインフラの実現はコンピュータのあり方を根本から覆(くつがえ)し、計算機能中心主義の時代が相互通信機能中心主義の時代へ入れ代わった現状は前回も説明したとおりです。加えて、ソフトの実行環境がサーバー側に移り、クライアント側は「重い」OSやソフトを動かす必要がなくなれば、高性能なパソコンの需要は減ります。こうしてパソコン時代のエコシステムへ限界が見えてきた反面、ではどう方向転換をすべきなのか?・・・・・・世界中のコンピュータIT産業が模索しながら、この問題にはまだ明確な答が出ていません。

 Windowsの登場以来、Microsoft社は一貫して次期バージョンを宣伝へ盛り込んできました。次期Windowsがどれだけ素晴らしい機能を備えているか、ユーザーの期待を膨らませてきた彼らの戦略は、やはりエコシステムが基盤となっています。そして、エコシステムは将来の明確なビジョンがあらばこそ機能し、Windows(とIntel社のペンティアム)の成功は絶えずそのビジョンを打ち出してきたところにあるといえるでしょう。しかし、去年Microsoft社が「将来のビジョンを語るのはやめる」と発表したあたりから、もはやWindowsが行き詰っているのは明らかでありながら、パソコン時代の覇者であるMicrosoft社がこの現実を直視すれば過去の成功体験の否定へつながり、抜本的な手を打たなければたとえVistaが普及したとしてもWindowsというOSの未来はありません。どちらへ転んでも勝ち目がないばかりか、下手をするとMicrosoft社の未来まで危ういのです。

 もちろん、Microsoft社がサーバー用のOSやソフトを強化するなど、ネットワーク時代への対応を急いでいるのは確かですが、最近の決算を見る限りではパソコン時代のOSとソフトの収益に依存した体質から未だ脱却しきれていません。コンピュータが計算機能中心主義の時代から相互通信機能中心主義の時代へパラダイムシフトを遂げるか、あるいはMicrosoft社の構造改革が進むか、水面下で進む静かなデッドヒートの結末は、そう遠くない将来にやってくるでしょう。

 ひととおりMicrosoft社とWindowsへの考察が終わった次は、問題のVista自身についてもう少し触れておきたいと思います。まず、OSとしての機能面でのみ考えるならば、世界中から選りすぐった頭脳集団でもあるMicrosoft社が、全力を注いできただけの成果はじゅうぶん窺(うかが)え、かつXPより格段の進化を遂げているのも確かです。たとえば、視覚面で最大の売物がAeroという新たなユーザー・インターフェイスの導入による「3D機能」で、半透明なウィンドウの枠などは、なかなか良く出来ています。

 当然ながらこういった面白い機能ですら、複数のウィンドウを開いた場合、どれがアクティブかわかりにくい半透明なウィンドウの枠を過去のWindowsと比較してVistaの欠点と指摘するユーザーもいますが、それらの指摘はまったく個人的な習慣が基準となっており、大多数のユーザーへは気にもなりません。Windowsがバージョナップされるたび、お馴染みの議論です。言い換えれば、機能的な問題ではなく好みの問題であり、嫌うユーザーが欠点と指摘する機能のほとんどは、結局、利点として受け入れられてきました。

 そんなことより、XPからVistaへ移行する中で何が変わったかを考えてみると、Windowsの長所も短所も浮かんできます。XPとVistaの違いを一言でいえば「セキュリティーの強化」ぐらいは、もはや衆知の事実です。裏返せば、XP以前のWindowsがそれだけセキュリティー面で弱く、そこからインターネット上のウィルス問題は広がりました。ウィルスのほとんどがマックでなくPCを狙っているのは、何もインターネットのアクセスの大半がPCだからというばかりではありません。

 いっぽう、そのアーキテクチャーの脆弱さが、そもそもWindowsを成功させた要因の一つだと感じるのは私ぐらいでしょうか?・・・・・・Windows 3.x以来、アイコンのダサいデザインをはじめ数々の文句がありながら、Vistaへ至るまで全バージョンのWindowsと付きあってきたのは、OSの隅々まで文句があれば自分で触れたからです。アーキテクチャー面でよりシンプルなマックは、効率がいいだけユーザーの触れる余地も残されていませんでした。プロセッサ(PCU)の処理能力より多様性を求める企業の間でPC(Windows)は普及し、まだ限られたプロセッサ(PCU)の処理能力を最大限に必要とするグラフィックなど特定の分野でマックが生き残ってゆくのです。

 そんな状況は、インターネットの台頭で慌ただしく変化してゆきます。アーキテクチャーの脆弱さが問題となるのは結果論であり、そこへ攻撃を受けて初めて隙があったとわかるわけで、Windowsも95以降のアップデイトは、ほとんどがセキュリティー問題に対応したものです。そして、セキュリティーの強化はユーザー側へ使う上での制約を意味し、3.xなら「.ini」ファイルですべてをコントロール出来たのが、95以降は「.ini」ファイルを残しつつも「registory」という新しい概念が導入され、すべてのコントロールは「.reg」ファイルに一括され、それを把握しない限り基本的な設定の変更もできなくなってゆきます。

 隙があると攻撃を受け、その隙を塞(ふさ)いだら今度は別の隙が、というイタチごっこを繰り返すうち、Windowsのセキュリティーはどんどん強化されながら、XPまではユーザーへ最終的なコントロールの余地が残されていました。したがって、3.xのコンセプトに未だ魅力を感じる私のような古いタイプのユーザーは、ただ「クラシック」の表示を選択するだけでなく「Documents and Settings」フォルダへ必要なデータを書き込むことで昔ながらのスタイルを維持できたわけです。その20年来維持し続けるスタイルも、Vistaの登場でもはや通じなくなってしまいました。

 セキュリティーの強化がVistaの最優先事項である以上、当然予想はしつつも、「Documents and Settings」フォルダなどユーザーがアクセス出来ないVistaのアーキテクチャーを初めて見た時は、「あ〜、とうとうマックになったか! Windowsの時代もこれまでだな!!」と、正直なところ思いました。それから2年近く付きあううち、機能面でXPよりVistaが優れている部分はじゅうぶん把握できて尚、過去20年間、自分の手足となってくれたWindowsへの親しみが感じられません。たぶん、パソコン時代の終わりはWindowsやMicrosoft社ばかりでなく、ユーザーの私も深入りしてきたぶんだけ反動が大きいのでしょうね!


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