映画とミュージシャン


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「戦場のメリークリスマス」
 ジョン・ランディスといえば今は亡きジョン・ベルーシ主演作「ブルース・ブラザーズ(1980年」の監督として知られており、アメリカの音楽業界で顔がきくというか、自ら、かなりの音楽ファンであるようだ。ちなみに、彼の妹はかつてのA&Mスタジオで受付やブッキングを任されており、住まいもスタジオのすぐ裏側だった。「ウィー・アー・ザ・ワールド(1985年)」が録音された時などは彼女の大活躍というわけである。当時、私が自分のレコーディングでA&Mスタジオを使っていた関係上、彼女から兄(ランディス)の映画の話を聞くことも多々あった。

 そのランディス、1983年にはマイケル・ジャクソンのビデオ「スリラー」を監督している他、ジェフ・ゴールドブラムとミッシェル・ファイファー主演作「眠れぬ夜のために(1985年)」のイントロでB・B・キングへ曲を依頼したり、ファイファーを狙うイギリス人の殺し屋役へデビッド・ボウイも起用しているのだ。また、ランディスと関係ないが、ボウイの出演している数多くの映画の中で、「戦場のメリークリスマス(1983年)」には日本から同じミュージシャンの坂本龍一がキャスティングされている。

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「パフォーマンス」
 かように映画とミュージシャンは密接なつながりがあり、かつての私のバンド仲間である桑名正博とて「唐獅子株式会社(1983年)」で横山やすしと共演した経験を持つ。ただ、音楽のパフォーマンスと演技は別物で、ボウイが50本近くの映画へ出演しているのと比べ、ミック・ジャガーなどは「パフォーマンス(1970年)」での主演が話題となった以外、ほとんどはノンフィクションの類だ。たぶんジャガー自身、「パフォーマンス」での演技だけでじゅうぶんだったのだろう。

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「砂の惑星」
 同じイギリス人ミュージシャンのスティングも、どちらかといえばジャガー・タイプである。「砂の惑星(1984年)」が目立つぐらいで、他の多くはそこそこの出来かノンフィクションの類であり、その「砂の惑星」だって存在感がある反面、目立つのは大根役者振りだから大きいことも言えない。ましてジャガーの「パフォーマンス」など、ローリング・ストーンズと縁のない若者に見せたところ、「この映画、いったい何が言いたいの?」と聞かれたぐらいだ。

 ただ、スティングの場合は演技さえしなければ、なかなか印象的な主題歌で映画を盛り上げている。ニコラス・ケイジがアカデミー主演男優賞に輝いた「リービング・ラスベガス(1995年)」の主題歌「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブ」、シリーズ最終作となった「リーサル・ウェポン4(1998年)」の主題歌「イッツ・プロバブリー・ミー」、「華麗なる賭け(1968年)」のリメイク版「トーマス・クラウン・アフェアー(1999年)」の主題歌「風のささやき」など、彼の歌った名曲は多い。

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「U-571」
 いっぽうイギリスからアメリカへ目を向けると、フランク・シナトラやディーン・マーチンからエルビス・プレスリーまで、ミュージシャンと俳優がクロスオーバーする歴史は長く、そのバラエティーも豊富だ。「キング・オブ・ロックンロール」ことプレスリーなど、音楽ばかりでなく33本の映画へ出演し、マリリン・モンローと並ぶハリウッドのアイコンでもある。また、俳優のほうですっかり有名になってしまったウィル・スミスも、もともとはラップ・ミュージシャンであった。

 比較的最近だと「ヤングガン2(1988年)」で銀幕(スクリーン)デビューした「ボン・ジョビ」のヴォーカリスト、ジョン・ボン・ジョビが「U-571(2000年)」でがんばっていたり、「ボーイズ'ン・ザ・フッド(1991年)」でデビューしたアイス・キューブが「トリプルX ネクスト・レベル(2005年)」他で主役を演じていたり、ジャスティン・ティンバーレイクあたりも「アルファ・ドッグ 破滅へのカウントダウン(2006年)」など数多くの映画へ出演している。

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「エビータ」
 男性のミュージシャンばかりでは不公平だというかたのために、ここらで女性群も登場してもらおう。'70年代に入って間もなく私が初めてロサンゼルスを訪れた時、アンフィ劇場へベット・ミドラーのコンサートを見に行った。その頃のミドラーは、まだ「ローズ(1979年)」で映画の世界へ進出する前で、バック・バンドの指揮をしていたのがバニー・マニローだ。「ソニーとシェール」のシェールも、'75年に良人のソニー・ボノと離婚後しばらくソロ・シンガーとして活躍した後は、「イーストウィックの魔女たち(1987年)」など、もっぱら映画が多い。

 「マドンナのスーザンを探して(1985年)」で銀幕(スクリーン)デビューしたマドンナは、「エビータ(1996年)」が注目を浴びた他、比較的最近では「007/ダイ・アナザー・デイ(2002年)」でボンド・ガールの仲間入りをしている。ミドラーやシェールと違って未だ音楽活動のほうも積極的なマドンナ同様、「ファニー・ガール(1968年)」でデビューしたバーブラ・ストライサンドも、音楽活動と映画出演をバランス良く維持している1人だ。

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「マッドマックス・サンダードーム」
 いっぽう、「Tommy/トミー(1975年)」で「麻薬の女王」を演じたティナ・ターナーが、その後「マッドマックス・サンダードーム(1985年)」ぐらいしか出演していないのに対し、クイーン・ラティファはマイケル・キートンとニコール・キッドマン主演作「マイ・ライフ(1993年)」へ出て以来、完全に音楽より映画の世界がメインとなっている。「オースティン・パワーズ ゴールドメンバー(2002年)」で映画入りしたビヨンセ・ノウルズなど、「ドリームガールズ(2006年)」あたりからは女優としてのイメージのほうが強い。

 その他、「カントリーの女王」ことドリー・パートンも、ジェーン・フォンダが「9時から5時まで(1980年)」の秘書役を彼女に演じるよう求めて以来、数々の映画へ出演するようになり、女優としての確固たる地位を築いている。同じく「ストレート・トゥ・ヘル(1987年)」で銀幕(スクリーン)デビューしたコートニー・ラヴは、「ラリー・フリント(1996年)」でロック・シンガーと思えない演技を披露して観客を驚かせた。

 こうしてミュージシャン上がりの映画俳優をいろいろ見てみると、音楽の世界も映画の世界もさほど違いがないということだろう。つまり、どちらもエンターテインメントの世界なのだ。したがって、逆にジェニファー・ロペスのようなミュージシャンとして成功した俳優だっているのである。

横 井 康 和      


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