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1985年3月26日、英国のテディングトンで生まれたキーラ・ナイトレイは、両親とも俳優であったため、小さい頃から将来俳優になると決意しており、3歳で早くも両親へ自分自身のエージェントをおねだりしたのは有名なエピソードです。そして、7歳の時、じっさいにTVドラマ「ロイヤル・セレブレーション(1993年)」で芸能界デビューを果たし、以後数年間、ピーター・オトゥール主演作「カミング・ホーム(1998年)」などイギリスの目立ったTV映画へ数多く出演するようになります。その「カミング・ホーム」での共演者の一人がナタリー・ポートマンであったことは、その後ハリウッドへ進出したナイトレイが「スターウォーズ・エピソード1/ファントム・メナス(1999年)」でポートマン演じる女王アミダラの替玉(ダブル)役をつかむきっかけとなるのです(ただし、ジョージ・ルーカスは映画の公開までその役をナイトレイが演じていることを伏せており、あんがい知られていません)。
ハリウッドへ進出した当初は、まだイギリスに戻ってTVの仕事をするほうが多かったナイトレイも、2001年の「ホール」で舞台へ立ったあたりから、より演技にのめりこんでゆきます。この舞台では当時まだ15歳の彼女がトップレスで出ており、またそれまでの映画では助演クラスだったナイトレイがディズニーのTV映画「レジェンド・オブ・アロー」で初めて主演クラスに抜擢されたのもこの年です。ばかりか、高校(ハイスクール)へ通学しながらの撮影は最後となったこの年の期末試験中、もう1作「ベッカムに恋して」を撮っています。
いったん大学(カレッジ)へ進み、片手間に「PURE ピュア(2002年)」へ主演したりするナイトレイが、間もなくプロデューサー、アンディー・ハリースの説得もあってTVリメイク版「ドクトル・ジバゴ(2002年)」で主演したあたりから専業俳優となり、翌年は「ラブ・アクチュアリー(2003年)」と続くのです。しかし、いくら業界が目を向けても、まだまだ世間の注目を集める存在とまではいきませんでした。
一躍ナイトレイが注目を浴びる転機となったは、いうまでもなく次の主演作「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち(2003年)」の大ヒットです。製作スタジオのディズニーでさえ予想しなかったほどのヒットで、さっそくシリーズ化された2作目「デッドマンズ・チェスト(2006年)」、3作目「ワールド・エンド(2007年)」も成功し、これら3本で彼女の国際スターとして地位が確固たるものとなるのです。
1作目の大ヒットの後は、シリーズ3本以外にも様々なタイプの話題作が多く、見事な矢さばきを見せたクライブ・オーウェンとの共演作「キング・アーサー(2004年)」、ケイト・ブランケットやヒュー・ジャックマンなどユニークなキャスティングで7つの物語を描いたオムニバス作「ロスト・ストーリー 〜現代の奇妙な物語〜(2005年)」、田園風景を背景にしたラブ・ストーリー「プライドと偏見(2005年)」、ファッション・モデルから賞金稼ぎへ転向した実在の人物を演じた「ドミノ(2005年)」、スティーヴン・ソダーバーグとジョージ・クルーニー共同プロデュースのサスペンス作「ジャケット(2005年)」、少女の嘘からb始まる戦時下の悲恋ドラマ「つぐない(2007年)」、19世紀のフランスを舞台にしたラブ・ロマンス「シルク(2007年)」など、彼女の主演作の多くは映画ファンならご存知でしょう。
中でも先日のゴールデングローブで作品賞と主演女優賞その他へノミネートされた「つぐない」が、主演女優賞こそ逃がしたものの見事作品賞を獲得、続くオスカーでも作品賞と主演女優賞の有力候補として話題になったばかりです。その女優としての存在感のいっぽうで、間もなく23歳の誕生日を迎えるという若さを考えると、まだこれからのキーラ・ナイトレイ、今後の更なる活躍に期待しようではありませんか! (2008年3月)
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