香港で迎えた誕生日


 私が初めて香港を訪れたのは、世界一周旅行に出た時だ。乗り継ぎが目的なので、1泊すると翌日はデリーへ飛ぶはずだった。伊丹空港から台北を経由し、香港に着いたのが午後九時過ぎ、さっそく空港ロビーのインフォメーション・デスクで目ぼしいホテルを捜す。

 予約手続きを終えて九竜へ向かう途中、タクシーの後部席に身を沈めた私は、街全体が醸し出す特有の臭いを拒絶する一方、不思議な高揚感も覚えていた。窓の外で流れゆく夜景をぼんやり眺めるうち、早「インターナショナル・ホテル」へ到着だ。チェックインの後、シャワーを浴びると真夜中近い。とりあえず、九竜がどんな様子か探索に出る。

 街の中はキンキラキンの人だらけ、凄いエネルギーで、とても深夜と思えない。午前零時を回り、後ろ髪を引かれつつ、明日が控える身だ。ほどほどで散歩を切り上げた翌朝、私はチェックアウトだけ済ませ、荷物をフロントデスクへ預けてしまう。陽が暮れるまで空港に着く必要はなく、ひとまず香港側へ渡るフェリーに乗り込む。船上、ふと今日が自分の誕生日であることを思い出したものの、実感は涌かない。

 数時間後、そろそろ荷物をピックアップする頃合となり、ホテルへ戻ったところ「ヨコチン!」、背後で誰かが呼ぶ。空耳と思い最初は無視した私も、2度目に呼ばれて振り向く。ホテルの正面玄関から数メートル離れた路上で立つ、友人のガールフレンド、Mを見た瞬間、自分自身の目が信じられない。東京の知り合いと偶然、異国の街で出会うチャンスなど、ふつうはごく稀なはずだが?

「リージェント・ホテル」のカフェ
テリアで吸っているシガーは、
確か “ROMEO Y JULIETA”

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 結局、母親と香港へ来ている彼女に会ったため、私は滞在を1日延ばし、「リージェント・ホテル」へ移る羽目となる。以前、東京でMが紹介してくれた香港の仲間達も合流し、その夜は食事の後、ディスコに繰り出す。本来なら独り淋しくインドへ向かうつもりが、みんなから誕生日を祝福され、午前四時過ぎまで騒ぐとは、人生、どこで何が起こるかわからないってことらしい。

 翌日は香港島の南端、スタンレイ・マーケットに出向き、辺りを見て回った後、帰途、映画「慕情」の舞台でも有名な由緒ある「ルパルス・ベイ・ホテル」へ立ち寄り、残り少ない香港の休日を楽しむ。ただ、この先、まだまだ旅が続く。予想外のハプニングで充実した時を過ごせたとはいえ、引き際が肝心だ。

 午後7時を回って出発準備も整った私は、「リージェント・ホテル」のカフェテリアで最後に香港の仲間2人と会う。昨夜、親しくなったばかりだが、わざわざ誕生日プレゼントまで用意してくれていた。そこへMや彼女の母親を混じえ、しばらく巨大な窓ガラス越しに広がる夜景を堪能するうち、そろそろ空港へ向かう時間だ。4人に見送られ、九竜を離れる途中、ふと気づいたのは、最初、抵抗があった街の臭いを、もはや感じなくなっている。

 空港へ着き、さっそくチェックインカウンターでオープンチケットとパスポートを差し出す。「デリー!」意気揚々と目的地を告げた私に係員は「それなら明日、来て下さい」・・・・・・連日インドへ飛ぶ便が、週1日のボンベイを除き、デリー行きぐらいは承知しながら、まさか今日がその1日とは思いもよらなかった。つまり、もう1泊するしか手がなかろう。

 しかたなくカウンターを離れた私は数歩進んで立ち止まる。よくよく考えれば、どうせ初めて行く土地に大した違いがあるわきゃない。そう思い直してUターン、元のカウンターで再度チケットを出すや、今度は「ボンベイ!」と微笑む。不信そうな視線を返す先ほどの係員へ、なおも笑って気まずさを誤魔化しつつ、この時点で、まさか自分の決断が後々まで尾を引くなど、よもや考え及ばない。心はインドを越え、ヨーロッパへ馳せる。

横 井 康 和        


著者からのお断り 

このエッセイは、“US JAPAN BUSINESS NEWS”の別冊“パピヨン紙”に、“ヨコチンの−痛快−大旅行記”として連載されたものの一部です。


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