ゲート・オブ・インディア


ゲート・オブ・インディア
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 香港で予定が狂ったおかげで、デリーならぬボンベイへ着いた私は、もとより長居をする気がない。したがって、到着後、すぐ翌日の飛行機を調べたら、なんとフランクフルト行きの便は週1本だ。デリーから連日飛んでいるのと同じ感覚でいたのが、まずかった。

 ともあれ、朝早く空港に着き、まず驚かされたのは税関で並ぶ人の多さだ。ところが、旅行者の列はがら開きなので一安心・・・・・・と思いきや、ロビーへ出てホテルを予約するつもりが、その床にはごろごろと人が寝ているだけで、閉まっているレストラン1軒以外まったく何もない。今まで抱いていた国際空港に対するイメージはみごと覆された。しかたなく市内へ向かうため、タクシーかバスでも探そうと思って歩き出すと、タクシーの客引きが来るわ来るわ! 中の1人を選び、ホテルを見つける条件付で値段の交渉を始める。最初の客引きがオファーした半額以下まで下がったが、まだぼられているのは間違いないだろう。それでもドルで計算するとかなり安いので手を打つ。

 市内に向かう途中、運転手はタバコを買うため路肩の屋台で停まる。なんとそこでは本単位で売っている。彼が2本買ったのを見て、数本残っているショートピース1箱をやったことから車内の空気は打ち解ける。するとさっそく「ハッシッシはいりませんか?」ときた。断れば次に、コカインかヘロインならどうかと聞く。興味がないとわかりがっかりしたようだが、こっちはそんな目的で来たんじゃない。

 ボンベイ市内に着いてまず案内されたホテルは、2畳ばかりのロビーで3人の男が寝ている。運転手はその1人を起こし、やっと足の踏み場が出来る。中に入ると、どうやらその男はホテルのマネージャーらしく、一応、相手に敬意を表して部屋を見てから次のホテルへ向かう。恐ろしく安いのはいいが、せめて部屋にバス・トイレはほしい。少し様子がわかったので運転手へ改めてこちらの意図を説明、3軒目に決める。ゲート・オブ・インディアのすぐそば、「スーバ・ゲスト・ハウス」というホテルで、バス・トイレ付の部屋はベッドが7つあり、少しうるさいながらクーラーの効きも悪くなさそうだ。

 短期間とはいえ、それからのボンベイ滞在中、ろくなことがなかった。両替と郵便を出すため近くの「タジマハール・ホテル」へ行くと、宿泊客であるなしに拘らず両方ともやってくれない。これだけのメジャー・ホテルも、インドの場合常識の基準が違っているようだ。また、「プリンス・オブ・ウェールズ博物館」へ行くと、展示品は興味深いものの、人が多すぎてリラックスして見られない。

 最後の駄目押しは、フランクフルトへ向かう時である。AK−47で武装した軍人が警備する空港でチェックインを済ませ、残ったルピーをドルに両替しようとしたら、ルピーと両替した時のレシートを見せろと言う。香港のレシートを見せるが、インドのやつでないと駄目らしい。諦めてフランクフルトで両替することにする。そして税関手続き、これがまたひどい・・・・・・出国カードへ記入し、それをチェックされた後、手荷物検査。その時うっかり搭乗券を落としたおかげで別の窓口へ行かされ、リストと照合したうえOKとなる。まったく人を馬鹿にした話だ。

 横柄な態度の係員に何度目かのボディーチェックをされ、やっとゲートへ辿り着き、一息ついたかと思えば、それも束の間、どういうわけだかアナウンスで税関まで呼び戻される。そこには預けたはず荷物が置いてあり、インド人の係員へ説明を求めても黙ったまま。一緒に呼び戻された1人がインド人にチップを渡すと、彼の荷物だけは送り出される・・・・・・なんて国だ! と、パンナムの係員が現われ、

  「すいません、こちらの手違いですので、ご心配なくゲートにお戻り下さい」

 おもてへ出たわけじゃないのに、ゲートの入口では再び不愉快なボディーチェックがあり、登乗準備は1時間遅れ、結局、予定より2時間遅れて飛び立った。

 日本とアメリカしか知らない私が、初めて世界を一周した途上だけに、この時の印象は強烈だ。おかげで、以来、二度とインドへ行ってないのは、その後、何度も訪れるようになったヨーロッパと比べて対照的といえよう。だいたいドープをやらない人間にとって、いいことなし。どこへ行っても10メートル歩くあいだに1人の割で、「ハッシッシはいらんかね? ヘロインにコカインもあるよ」と声をかけてくる。見る物は多いが、落着いて鑑賞するには人が多すぎる。インド料理は好物でも、連日朝から晩までといえばToo Much!・・・・・・この旅行から1年以上、さすがインド料理へ拒絶反応を示すようになった。そんな私ながら、どこかで「ゲート・オブ・インディア」の写真を見ると、苦々しさの中でちょっぴり懐かしさを感じるのは、やはり時間の為せる技だろう。

横 井 康 和        


著者からのお断り 

このエッセイは、“US JAPAN BUSINESS NEWS”の別冊“パピヨン紙”に、“ヨコチンの−痛快−大旅行記”として連載されたものの一部です。


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