バンクーバー
晩香坡の夜は更けて


 海外へ出ようとしてビザの問題が起こるのは、なにも当人のせいばかりとは限らない。以前、友人の知り合いが、渡米しようとして引っかかり、観光ビザまで取れなくなった。とはいえ、ほんの2〜3ケ月間の話である。それを待てなくて、この私が晩香坡(バンクーバー)に出向く羽目となったのは、いわば風と桶屋の関係だ。

 まだ20代でごく普通の人間、前科もなければ海外へ出るのも初めてと、アメリカの移民局から観光ビザを拒否される理由などない。それが、たまたま代理申請を頼んだ旅行会社の些細なミスで、妙な展開となる。旅行会社たるもの、滞在期間は顧客の希望より、渡航目的に妥当と思われる数字を記入して申請するのが当たり前だ。もしくは、適当な数字を書くことが許せないほどのプロフェッショナルなら、必ずや顧客へアドバイスをすることだろう。

 ところが、その旅行会社は「出来るだけ長くいたい」という顧客の軽い言葉に、あっさり「3ケ月」と書く。領事館が代理申請の分厚いパスポートの束を見る時、ほとんどは数日とか1週間、長くて1ケ月程度の滞在を希望する中で、3ケ月は嫌でも目立つ。結果、インタビューとなり、なぜ3ケ月の滞在なのか理由を追及される。なぜと聞かれようが、もともと自分のアイデアじゃない。そして、曖昧(あいまい)な答は、日頃、領事館員が日本の旅行会社へ抱く苛立ちを煽(あお)りかねず、そうなれば、もはやお手上げだ。

 そこで、相談を受けた私の友人は、どうしても今すぐ行きたいなら、カナダあたりでビザを申請すればと提案し、これに相手が飛びついた。友人としては言った手前、責任もある。現実のシビアーさも人並み以上の認識がある。放っておけば、カナダで追い返されるのは間違いない。結果、私がL・A(ロサンゼルス)からカナダまで身元引受人として行けないかを打診され、軽く引き受けた。

 問題は、この先なのだ。仮に友人をX、その知り合いをYとしよう。Xの話でYが来るのは2〜3週間後と考え、とりあえず心の準備を整え連絡が入るのを待つ。身体の準備はそれからでいい。そう思いながら2週間ばかり経って、電話が入る。

晩香坡のダウンタウン
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 「もしもし、ヨコチンさんですか?」
 「そうですが?」
 「はじめまして、ぼくはYと・・・・・・」
 「ああ、Xに話は聞いてる」
 「このたびはお世話になります。何とぞよろしく!」
 「他ならぬXの頼み、出来る限りのことはしましょう。だが、相手がアメリカ政府なのを忘れちゃ駄目だ」
 「みんなにヨコチンさんなら大丈夫って言われました」
 「お世辞はいいよ。それより、きみ自身の口から詳しい事情を聞きたいね。いつ、日本を出るのかも?」
 「じつは今、晩香坡(バンクーバー)なんです」
 「なんだって!」
 「すいません。待ちきれなくて・・・・・・」

 こうして、有無をいわせず翌朝にはL・Aを発つしかなくなった。初めて訪れるカナダへの旅情もくそもない。出発が木曜日で、その日か翌日に結論は出るはずだ。駄目なら駄目で、諦めるしかなかろう。翌週まで粘ったからといって、状況が変わるわけはなく、どう転ぼうが土曜日一番の便で戻れるものと確信し、機上の人となった。

 いつもどおり機内で晩香坡(バンクーバー)の地図をじっくり検討し、着く頃には大まかなイメージが頭の中で組み上がっている。昨夜、電話で教えられたホテルへ着いてみると、寒空の下、わざわざおもてで待つ日本人、声をかければ、やはりYだ。ホテルをチェックインして、さっそくアメリカ領事館へ向かう。しかし、ビザを受け付ける時間は過ぎており、翌日、出直すしかない。

 明けて金曜日、打ち合わせどおり、久方振りに旧友と会った私が、強引にYをL・Aへ誘った筋書(シナリオ)。Yはちょうど休暇の残りがあるので、ビザさえ取れれば行ってもいいと、ごく自然だ。ところが、いざ領事館に着いてみると、結構シビアーである。断られたわけではなく、書類が足りる足らないという話なので微妙なところ、下手なプッシュは出来ない。

 狼狽(うろた)えるYを連れて早々と領事館を出たのは、いま粘ればますます希望がなくなると判断したからだ。作戦を練り直し、出直せばまだ可能性は残っている。ホテルへもどるや、私はYの持っていた書類を全部出させ、パッケージの作成に取りかかった。休暇証明や銀行残高証明、その他の書類を、たとえばもともとアメリカ旅行用であったタイトル部分を切り取るなど、改造をほどこした上、すべての英訳を作成してゆく。こうして約5時間後、筋書(シナリオ)をバックアップする書類がようやく揃う。

 ちなみに、はっきり言って移民法を破る立派な犯罪行為でありながら、その経緯(いきさつ)を躊躇(ちゅうちょ)なく公表できるのは、時効を過ぎたせいばかりじゃない。なにより、彼が日本でビザを拒否される理由はないにも拘(かか)わらず起こったトラブルだからだ。そうなると、「トラブル・シューター(助っ人)」として出向いた意地がある。ただ、準備を済ませたら月曜日までやることはない。結局、1日半の滞在が数日に延びたおかげで、「晩香坡(バンクーバー)の夜」を満喫できたのは予想外の収穫であった。

 更けゆくブリティッシュ・コロンビアの街で存分に旅情を味わった翌週、いよいよ最後の勝負・・・・・・なんの問題もなくYの観光ビザが下りたのは言うまでもなかろう!

横 井 康 和        


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