2001年宇宙の旅 (下)


TRWの人工衛星組立現場
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 私にとって「2001年宇宙の旅」を疑似体験させてもらったありがたい取材中、何社か訪れた企業の中で一番印象的だったのは「TRW」だ。かのハワード・ヒューズが創設した「ヒューズ・コーポレーション」も偉大な企業ではあるが、期待しすぎたせいか、あまり感銘を受けなかった。ただ、今では名機500MDを生み出したヘリコプター部門をマクダネル・ダグラスへ売却し、企業形態を絞ってきたヒューズが、アメリカの宇宙開発へ貢献する立て役者の1人であることは間違いない。TRWという比較対象さえなければ、そうとうインパクトがあったと思う

 企業以外も含めれば、TRWと並んで忘れられないのはバンデンバーグの米空軍基地だ。西海岸からスペースシャトルを打ち上げる場合、ここが使われる。また、ミサイルのテストなどもこの基地の重要な役割であり、当然ながら中はだだっ広い砂漠がかなりの部分を占め、訪れた時の第一印象は軍事基地特有の雰囲気と、入っても無人の砂漠が広がるだけという奇妙な組み合わせだ。その基地のゲートで待ち合わせた空軍の広報係も、TRWの時と違って職業軍人であることは言うまでもない。

 軍服姿の広報係が案内してくれたのは幌(トップ)なしのジープ     取材中、見るもの聞くものが新しく、いま思い出しても時代を感じるものはほとんどない中で、それが十数年前であったことを再認識させるのはこのジープぐらいだろう。湾岸戦争前後を境に、民間人(シビリアン)でさえ軍用車輌といえばジープからハンビー(ハマー)を思い浮かべる時代へと移り変わった     そのジープに乗り込み、無人の砂漠を延々と走りながら、広報係が大声で説明を始める。オープンカーの会話は、経験されたかたなら、どんな感じか想像がつくはずだ。

 その砂漠のイメージもさることながら、未だにくっきりと脳裏へ浮かぶのは、やはり間近に見た発射台である。目前でそびえる巨大なコンクリートの塊(かたまり)が、宇宙への旅立ちを仄(ほの)めかす。ただ、発射台とはいえ、当時、設計の変更から工事中であったため、塔(タワー)などの付属物がない土台の部分と背後の壁しかなかった。土台のほうはロケット噴射を受け、強大なエネルギーを脇へ吐き出すための穴が開いた、まさにコンクリードの塊(かたまり)だ。また、土台だけなので、かえって想像力を掻きたてられたのだろう。

 からっぽの発射台を見上げるうち、そこにそそり立つスペースシャトルの幻想が重なりはじめ、やがて私の心は遙か宇宙へ翔(と)んでゆく。取材を始めて以来の興奮度が、ここでピークに達し、それはちょうど知らない土地を旅しながら、わけもわからず胸が躍る時のあのむず痒い感触だ。そういう意味で、この取材はまさしく未知の世界への旅だった。

 だが、旅とはそもそも何なのか? 新天地を求めて人類が旅を始めたのは、もちろん生存のためである。しかし、自分がいったい何者で、なぜ生存し、どこから来てどこへ向かっているのかは誰にもわからない。人類がいくら進化を続けながら地球上、あるいは宇宙を隅なく開拓しようと同じことだ。それゆえ、未知へ憧れ、探求心や冒険心を抱く。それゆえ、今を精一杯生きるしかない。結果、充実した人生が送れるかどうかは本人の気持ち次第である。より広く世界を知って、より多くの人と出会えば、それだけ気持ちが豊かになるチャンスは増すのが道理だ。

 現代社会では衣食住の確保を求めて旅に出る必然性が少なくなった一方、時として生活の(物質的な)余裕は心の(精神的な)飢えを表面化させる。旅をすればそんな心を動かし人生をちょっぴり満たしてくれる人や何かと出会うかもしれない。そして、TRWやバンデンバーグ空軍基地の場合、私の心を激しく揺さぶった。

 ばかりか、十数年を隔てた今、旅行記を書くにあたってバンデンバーグ空軍基地のホ−ムページをチェックしたところ、またしても感じ入ったことがある。ホームページではスペースシャトルの他、どのようなミサイルをテストして結果がどうだったという軍事情報から、今後の打ち上げ予定まで幅広く一般公開しているのだ。もはや原爆の製造方法さえインターネットでわかる時代とはいえ、「これだけ見せて大丈夫なのかな?」と妙な心配をしてしまう。反面、アメリカの情報公開へ頑(かたく)なにオープンな姿勢が、どれだけこの国を性格づけていることか!

 「国民には知る権利がある」と唱えたところで、どの政府も国を運営するため情報の管理は欠かせない。人間社会である以上、非公開の情報を持たず政府が国を運営するなど不可能だ。問題はどこへ一線を引くかであり、それがアメリカほど明確な国はないだろう。アメリカの場合、インターネットと限らず、図書館へ行けば政府が封印した非公開の極秘情報を除いて、多くの公共文書書類は驚くほど簡単に見せてもらえる。

 トム・クランシーやジョン・ル・カレはじめ、一連のスパイ小説を読むとアメリカへ潜入したテロリストが情報収集の容易さに呆れるパターンは、いわば定石だ。政府の建物を爆破するため設計図が必要なら、図書館へ行けばいい。テロリストたちは、これでよくテロが増えないものだと不思議がる。同じく、官権は官権でルール違反(人権無視)の逮捕をした場合、送検が難しいアメリカの制度(システム)は犯罪者に逆用されそうで、ちゃんと機能しているは、やはり基本的な姿勢の問題であろう。

 ともあれ、一介の米空軍基地のホームページも見方次第で学ぶところが少なくない。また、旅の体験もそれを自分自身へどう活かすかで違ってくる。ただ、見て終わり、ただ、感動しただけではつまらない。せっかくなら、自分の人生のプラスにしないと損だ。

 最後に余談だが、バンデンバーグから比較的近い街といえばサンタバーバラがあり、ここはSST(超音速旅客機)コンコルドをアメリカへ乗り入れるのに、まず反対を名乗り出た街としても知られている。サンタバーバラの上空どころか、西海岸へ乗り入れる予定がなかったにもかかわらずだ。それだけ環境汚染へ確固たる姿勢で挑むサンタバーバラと、頻繁にミサイル実験を行うバンデンバーグは「お隣さん」というのも不思議なバランスで面白い。

 アーサー・C・クラークは「2001年宇宙の旅」の完結編「3001年宇宙の旅」を書いたばかりだが、我々にとって2001年の旅はまだ始まったばかり、さあ、これからどう展開してゆくか!? (完)

横 井 康 和        


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