映画とインサイダー


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「ハリウッド最前線」の発信地
 今年最後のエッセイを書くにあたり、考えてみるとこの「ハリウッド最前線」もあと1年で開設10周年を迎えるわけだ。そもそもサイトの発案者であり開設の際、私を巻き込んだ映画プロデューサー、マックス桐島が業界のインサイダーであるいっぽう、その時点で巻き込まれた私のほうはハリウッド在住の映画が好きな物書きにすぎない。

 そう思いつつ、いつしか一緒に始めたパートナーのマックスは抜け、インサイダーの発信する映画サイトとして定着した「ハリウッド最前線」をアウトサイダーであった私が1人で継ぐ羽目となる。それでも毎月のアクセス数は増え続け、今や毎月100万件が当たり前のペースだ。結果、インサイダー情報を発信する場合、肝心なことは(物書きとして)ジャーナリストの立場から責任を持つかどうかの違いだと再認識できた。

 つまり、インターネットへ「ハリウッド最前線」を流すうち、(ジャーナリストの立場から)責任さえ持てば増え続ける読者の反応(アクセス数)がインサイダーかどうかのバロメーターとなり、発信する側の自意識など世間の目には留まらないようだ。もちろん当人へは自意識こそが大切で、世間の目はどうでもいい。ハリウッドに腐るほどいるプロの俳優が、過半数は他の仕事で食いつなぎながら俳優らしい仕事をした経験もなく、その点、私のような売れない作家とて同類であろう。

 いっぽう、作った映画が成功すれば、たとえ当人はアウトサイダーのつもりでいようが世間はインサイダーと見る。そこで成功の決め手となるのが興行成績だ。客さえ入って儲かれば勝ち、いくらいい作品であろうと儲からなければ見向きもされない。実業界では常識の原則が、もっと露骨なハリウッド・・・・・・本来は夢を売るはずが!?

 と、余計な心配をすることはない。興行成績が決め手である以上、最後は客が面白いと思うか思わないかだ。面白い映画を供給できなければ、当然ながら客は離れる。製作スタジオが面白い映画を供給するため、まず必要なのはその製作スタッフだ。スティーブン・スピルバーグロバート・ロドリゲスを見るまでもなく、面白い映画が作れる現場のスタッフは業界のインサイダーという以前に誰よりも「熱狂的映画ファン」であり、それが高じた末、現在へ至った。その精神を失くす時は、ハリウッドから彼らの姿が消える時でもあるわけだ。

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三波春夫
  「お客様は神様です」と、かつて三波春夫の言った台詞も、巨額の資本が動くハリウッドでこそ意味合いはずっしり重みを増す。そして、客が入ってくれたら、その興行収益をどれだけ自分の懐へ入れられるかという能力次第で業界におけるパワー・ランキングは決まる。同じインサイダーでも、ただ映画ファンというだけなら、自分が作りたい映画の製作はおぼつかない。

 20世紀フォックスが「スターウォーズ」の配給契約でジョージ・ルーカスに美味しいところをほとんど持っていかれても文句を言えないのは、それだけルーカスが映画の製作ばかりでなく利権関係をしっかりとコントロールしているのが1つ。もう1つは、興行収益のスケールが大きい上、ほとんど保障されており、ルーカスの条件を呑んでもじゅうぶん採算は合う。

 今後ルーカスと20世紀フォックスの力関係がどう変わるかは、もちろん次作「スターウォーズ/エピソードV・シスの復讐」の興行成績次第だ。A級(クラス)の俳優製作スタジオの力関係も、これと同じようなもので、スタジオが1人の俳優へ億円単位のギャラを支払うのは、その俳優がそれに見合うだけ稼ぐと判断した結果であり、スタジオは俳優の持つ観客の動員力へ投資しているのである。したがって、いざ封切られた映画がこけた場合、主演俳優にとって次の出演交渉は当然ながら前回より厳しい。

 結局、客が入ってくれないとプロデューサーや監督や俳優は業界での影が薄くなってゆく。映画と限らずエンターテインメントの世界は、そもそも客の存在があってこそ成り立つ。観客のいない舞台で音楽を演奏したり、読者のいない小説を書いても意味はなく、中でもシビアーなのが映画の世界というわけだ。「お客様は神様です」と、言葉にして客を持ち上げなくとも、それを痛感しているのがハリウッドのインサイダーではないだろうか?

 ただ、基本的に映画ファンが高じたのがハリウッドのインサイダーだとしたら、それはプロデューサーや監督や俳優ばかりと限らない。じっさい1本の映画製作へ携わるスタッフだけでも相当の人数であり、その職種の幅がどれだけ広いかは以前「映画とタイトル(下)」で書いたので省くとして、たとえば「Set Painter」と呼ばれる大道具専門のペンキ屋が業界に入った経緯をプロデューサーや監督や俳優と同レベルでは語れないだろう。

 映画を作ったり演じる積極的な意志がなく、プロデューサーや監督や俳優は生まれないが、他のスタッフの中には大道具のペンキ屋から経理士まで専門職の人間も多く、彼らがインサイダーとなるきっかけは自分が作りたい特定の映画のためではなかったはずだ。好例がグレゴリー・ジーン、業界では彼のことを「ミニチュア・ジャイアント」と呼ぶ。今やSFX(特撮)の数ある分野でもミニチュア製作にかけては第一人者のジーンだが、そもそも業界へ入るきっかけは、ほんの偶然にすぎなかった。

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「未知との遭遇」のスペースシップ
 大学でアートを専攻する'70年代前半、サンディエゴのシーワールドでジーンが見つけたアルバイト口は、そこのアトラクションで使うミニチュアの家や家具をファイバーグラスで作る仕事だ。たまたまそれを見た「フレッシュ・ゴードン(1974年)」の関係者が、映画に使うミニチュアの宇宙船を作ってみないかと誘う。業界の伝説となったそれらの宇宙船ながら、報酬の小切手は不渡りで、国税(IRS)の監査が入って製作は中断と、散々な初仕事となる。

 しかし、この「フラッシュ・ゴードン」のパロディー映画の仕事を請けたおかげで、引き続きダン・オバノンより「ダーク・スター(1974年)」のミニチュア宇宙船の製作を依頼され、報酬として350ドルもらったのが業界での初収入だ。以来、「スターウォーズ(1977年)」、「未知との遭遇(1977年)」、「レイザー・ブラスト(1978年)」、「スタートレック(1979年)」、「1941(1979年)」、「デイ・タイム・エンディッド(1980年)」をはじめとして、これまでジーンの手がけた映画は数知れない。

 もし、アルバイトで作ったシーワールドのミニチュアが「フレッシュ・ゴードン」の関係者の目に留まらなかったなら、ハリウッドの「ミニチュア・ジャイアント」は誕生せず、そのあたりが偶然の恐ろしさである。とはいえ、当人の才能努力があらばこそ偶然のチャンスを活かせるのであり、(ラック)だけで成功はおぼつかない。ちなみに、ここしばらくスペイン人作家アレックス・ロビラフェルナンド・トリアス・デ・ベスの共著「グッドラック」が日本のベストセラー小説でも郡を抜いて売れた理由(わけ)は、ただの運(ラック)と幸運(グッドラック)の違いをわかりやすく説いているからだ。

 何らかの事情で主演を降りた俳優の役が回ってくるのは、確かに運(ラック)だといえよう。しかし、「グッドラック」で登場する2人の騎士の場合と同じく、ただの運(ラック)なら誰でもチャンスがあり、そのチャンスを活かして幸運(グッドラック)をつかめるどうかは当人の努力次第だ。リチャード・ギアが「アメリカン・ジゴロ(1980年)」で成功したのは、当初主演するはずのジョン・トラボルタが母親の死で降板したからではない。「ラスト・サムライ(2003年)」で今年のアカデミー助演男優賞へノミネートされた渡辺謙しかりである。

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渡辺謙
  他人の事情で回ってきた役が成功すればするほど、その俳優は交代前のオリジナル・キャストと比較されがちだが、交代しなかったら映画は話題にすら上らないほど失敗していた可能性もあり、「ラスト・・・」の勝元役が当初の予定どおりキャスティングされたとすれば渡辺ほどのインパクトはなく、ましてアカデミー助演男優賞へのノミネートなど無縁で終わったかもしれないのだ。

 それだけに「ラスト・・・」をきっかけとして来年夏のブロックバスター作「バットマン・ビギンズ」、あるいはコロンビア、ドリームワークス、スパイグラスのメジャー三社が共同企画を進めてきた話題作「さゆり」への出演を決め、ハリウッドのインサイダーとして着実に地盤を固めつつある渡辺はたくましい。

 野茂が火付け役となり、今や日本からアメリカのメジャー・リーグへ進出する野球選手は珍しくなくなった。彼らがピラミッドの頂点だとすれば、そのメジャー・リーグ進出を支えるのは底辺の広さである。ハリウッドに進出する渡辺とて変わらず、それだけハリウッドのインサイダーを目指す層の底辺が広がってきた現状を彼の活躍は反映しているのだと思う。じっさい「ハリウッド最前線」を開設した1996年1月以来、日本の若い読者からハリウッドへ出て仕事をしたいのですが?・・・・・・という相談のメールは多い。内容こそ千差万別だが、それらのメールを見るたびに脳裏へは日本にいた頃の自分自身の姿が浮かぶ。

 時間が許す限りメールの返事は書いているつもりでも、書けずじまいのほうが多い。この場を借りて失礼をお詫びするとともに、自分自身の経験からそれらのメールへお応えして言わせていただくと、まずは目的を定め、目的が定まればそこに向かって進むことだ。ハリウッドのインサイダーを目指すのではなく、なぜ目指すかが重要であり、たとえ目的は定まっても、それが達成できた時点で、どうせ目的としての意味を失くす。

 夢のない人生ではつまらない。夢があっても行動しない限り実現しない。実現した夢はただの現実にすぎない。そこで、何もせず小さな夢を夢のまま保つのが1つの生き方なら、夢を実現させては次の夢を目指す生き方もある。私の場合、十代半ばからミュージシャンの道へのめり込む背景で、アメリカ音楽の影響が大きかった。アメリカで自分(の音楽)を試したいという夢は、20歳になって間もなくロサンゼルスを訪れ、いよいよ膨らんでゆく。数年後、25歳の誕生日を迎えて間もなく、とりあえずベース・ギター片手にロサンゼルスへ向かうわけだが、内心は将来どころか明日のことすら真っ暗な状態だった。

 そんな不安を夢が抑え、いざアメリカでのミュージシャン生活を始めてみると、もはや夢は現実であり、とどのつまり京都で生まれ育った私が東京で住み始めた時と基本的な感触は変わらない。ただし、日本国内と違ってヴィザが必要な点は煩(わずら)わしく、数年後、永住権(グリーンカード)を申請する時点で、それさえ取れれば人生のすべてが上手くいくような気になっていた。下りるのを待ちながら夢は膨らみ、移民局(イミグレーション)とのトラブルで長引くと、そこへ拍車がかかる。

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ピンクの「グリーンカード」
 そして、ようやく取れた永住権(グリーンカード)は、もはやカードの色すら(オリジナルのでなく)ピンクになっており、かといって薔薇色の人生が待ち受けていないどころか生活は何一つ変化がない。結局、夢に向かって進み、そこへ辿り着いたらまた次の夢に向かいながらその日暮らしを送るうち、いつしか私の人生は日本よりアメリカ生活のほうが長くなっていたという次第・・・・・・

 決して自慢できるような人生ではないが、ハリウッドに30年近く住んで言えることは、やる気さえあれば、こちらで映画の仕事をしたいとかインサイダーを目指すのは決して難しくないはずだ。ただ、ハリウッドへの第一歩を踏み出さない限り、何も始まらず、一歩踏み出したら目的地を目指して進むしかない。その日暮らしで明日が見えない時にはテーマソングを口ずさむ。もちろんセルジオ・メンデスの往年のヒット曲「デイ・バイ・デイ(その日暮らし)」である!

横 井 康 和      


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