アカプルコ万歳!(下)


 メキシコシティーの空港正面のホリデーインをチェックインする時、フロントデスクとその右側にあるレストランに挟まれて、遠慮がちの看板とバーの入口が見えた。開店していることは、奥でバンドが演奏中だから間違いない。しかし、入ってみると赤と青の薄暗いスポットライトでほんやり浮かび上がったバンド以外、何も見えないほどの暗さだ。

 私自身、幼い頃から「ムード照明」とやらの愛好家で、家庭の照明に蛍光灯を使うのは罪悪だと考えてきた。私の明るい部屋へ入ってきた両親など、戦時中の反動からか、「こんなに暗くして、どうした?」と、聞いたぐらいである。その私が呆れるほどホリデーインのバーは暗く、テーブルへ案内されても、まだ目が慣れない。

 そんな店内で、ハンマーピアノを中心としたクァルテットの奏(かな)でるメキシコ民謡に耳を傾けつつ、「JBソーダ」を飲みながら一日を振り返るうち、ようやく気分は落着く。およそ30分後、意識がプラスの指向性を取り戻し、部屋へ戻った私は受話器を取る。異国を感じさせる呼び鈴を5回おいて、スペイン語が応答、英語で国際電話を申し込み、どうにか日本と連絡を取った結果、明朝一番の便で飛べば間に合いそうなので一安心だ。次に電話をかけたアカプルコのホテル・アメリカーナの交換手は、目指す相手が明日も滞在中と言う。

“アカプルコの海”でのショット
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 翌朝、新たな気分でアカプルコへ向かう私は、やはりホテル・アメリカーナを取っていた。チェックインを済ませるや、1階下の607号室を訪ねる。まだ相手がいることは昨夜の電話やチェックインの時も確認済みだ。深呼吸をしてからドアをノックすると、少し待って流暢な英語(アメリカン・イングリッシュ)が応え、私はドア越しに自分の身分と目的を証す。

 すると、ドアが開いたのはいいが、立っているのは若いアメリカ人の男で、彼の向こうに仲間の女性2人と男性1人がこちらへ不思議そうな視線を向けている。完全に思惑は外れながらも、なんとか状況を把握しようと質問を続け、わかったのが彼らは何日かこの部屋で滞在していることと、ホテル側のいい加減さだ。しかたなく自室に戻り、せめて会うはずであった相手の痕跡を見つけようと、アカプルコ中のホテルへ電話をかけ始める。

 何軒目かでそれらしき人物がいると言われても、素直に信用するのは危険だ。引き続き別のホテルへ電話をすると、やはり何人かの交換手が「うちにお泊まりです」と応えた。正午を回り、めぼしい場所は一通りかけ終えたものの、リストアップしたホテルの数がけっこう多く、これを1軒づつチェックしなくてはならない。あまり時間の余裕がないので、休む間もなくホテル・アメリカーナを飛び出す。

 アメリカ人観光客でにぎわう通りを急ぎ足でゆく私の脳裏には、ドン・ヘンリーの“You belong to the city”が鳴り響く。水着かショートパンツ姿しか見あたらない中を、黒いポロシャツとズボンに夏物の黄色い背広(ジャケット)を着た自分自身へ、「マイアミ・バイス」のイメージを思い浮かべたせいだろう。しかし、けっしていいイメージではない。いわば警官の哀愁らしき沈んだ気分を噛みしめつつ歩くうち、「俺がなんでこんなことをしなくちゃいけないんだ?」という疑問も浮かぶ。

 結局、現実は「マイアミ・バイス」のようなわけにはいかず、陽が落ちる頃、目指す相手は見つからないまま、いったんホテル・アメリカーナへ戻ることにした。まあ、ソニー・クロケットと違って10ミリ口径の自動拳銃「ブレン」を携帯していないので、撃ち合いのシーンがなかっただけましだ。シャワーを浴びた後、ようやく一息ついた私は、海岸のレストランで夕暮れの海を見ながら、ゆったりと食事を取る。

 食後、少し休んで再びホテル・アメリカーナを飛び出し、おもだったホテルが建ち並ぶ通りの端から1軒づつ当たってゆく。深夜近くまでかかり、これも徒労に終わったが、いちおう出来るだけのことをしたので納得はできた。日本へ連絡を取り、今朝からの状況を報告するやドッと疲れが出て、あとは何も考えず朝までぐっすり熟睡だ。

 翌朝、朝食を済ませ空港に向かう途中、初めて心の余裕を持って見る景色がやたら新鮮で、異国の地を訪れていると実感させられた。間もなく到着した空港まで、着いた時とはまるで雰囲気が違う。また、メキシカーナ航空に懲りた私は、アカプルコへ到着するや帰りの便をデルタ航空に変更したのが大正解、「東京→大阪」の感覚でL・A空港を降り立つ。行きは「東京→ブラジル」の感覚なのを思えば、ずいぶん開きがある。

 こうして終えた私のアカプルコ初体験も、わが家へ戻ると懐かしく、加えて旅行が無駄ではなかったことが嬉しい。旅行の直後、依頼主より合併吸収は成功したという朗報が入り、その時の話だとアカプルコで会うはずの相手は私が向かっていることを聞きつけ、あわてて帰国すると同時、スポンサーからも降りたそうだ。合併吸収の成功は、私がアカプルコへ向かったことで相手にプレッシャ−をかけられたからというのは、たとえ心優しい依頼主の気休めであろうと、目的が達成された以上、後味は悪くない。

 何年もの歳月を経て、この旅を振り返るたび、「俺がなんでこんなことをしなくちゃいけないんだ?」という疑問を浮かべながら急ぎ足で歩いた思い出さえ頬はゆるむ。時が過ぎれば、心の奥まで突き刺さるハードな体験ほど懐かしくなるのか、今、私の気分は・・・・・・

 「アカプルコ万歳!

横 井 康 和        


ハリウッド最前線「ブルー・マガジン」でお届けしているオンライン・ノベル「天使達の街」第10話は、一部がこの時の体験に基くフィクションです。

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