空中四万哩 (その3)


 オープニング・パーティーが終わり、数十人のゲストは1人、また1人と去ってゆき、私自身、日本を発つ前にまとめないといけないことがある。パーティー気分は吹っ飛び、いよいよ仕事のノリだ。小屋(ライブハウス)が無事オープンしたものの、続く“ギャップ・バンド"、"ジョージ・クリントン"、"カメオ"、"クライマックス”などの打ち合わせはこれから、翌週の“キッド・クレオール・アンド・ザ・ココナッツ”の詰めさえ終わっていない。

 結局、オープニング・パーティーが終わってすぐ帰るはずの予定を変更し、楽屋とホテルの部屋を事務所代わりに、アメリカやヨーロッパと連絡を取り始めたのと平行し、“ソウルUソウル”の公演では連日トラブルが続く。それは彼らと日本側スタッフの間だけでなく、“ソウルUソウル”の内部でもイギリス勢のスタッフとアメリカ勢のバック・バンドが対立し、時には私がその仲介までやる羽目となった。

開かずの鞄
画像による目次はここをクリックして下さい
 そこへイギリスから“ソウルUソウル”の撮影チームが到着するに至って、いよいよ事態は混乱を極める。“ソウルUソウル”のプロダクションが契約した撮影チームはバンドと直接関係がないばかりか、バンドは被写体で自分達が主役なのだ。ビデオ用のフィルム撮影は何台ものカメラを駆使した大がかりなもので、それぞれのカメラをコントロールするためのモニターとしてビデオ・カメラも回す。

 日本側が安全対策の上で撮影場所を一部限定し、交渉のあげくバンド側も合意しようと、撮影チームはいい映像が撮れそうなら平気で無視する。もともと「音楽屋」と「映画屋」の気質は違っているところへ国民性の違いが加わり、もはやドタバタ喜劇の世界だ。そして、喜劇とは演じる本人にとって悲劇なのである。

 それらのトラブルを乗り越え、出演予定バンドとの打ち合わせが一段落つく頃、数日の滞在予定は2週間以上に延びていた。その間、連絡相手の時差があるので睡眠時間は1日4〜5時間がいいとこだ。あげくの果て、ようやく日本を経ったのは7月13日の金曜日、それも日付変更線を越すから2日続く。

 ドサクサの旅を締めくくる、ちょうどいいエンディングだと自分を納得させ、L・A(ロサンゼルス)の自宅へ戻った私は、さすが疲れが溜まっていた。久しぶりで自分のベッドに入って平和な気分を満喫しつつ、意識は遠去かる。と、電話のベルが鳴ったのは2時間ばかり経った頃であろうか・・・・・・

 相手が別れて間もない日本のスタッフだとわかり、私は不吉な予感を覚えながら耳を澄ます。話の内容が、別れた後の状況報告というだけで、急ぐほどの用事とは思えない。相手の口調も、なんとなく歯切れが悪く不自然だ。黙って聞くうち、話は“ジョージ・クリントン・アンド・ザ・パラメント・ファンカデリック・オールスターズ”の件となる。なんでも、彼らの写真やインフォメーションが遅れてビザを取れない上、当人達はヨーロッパ・ツアー中らしい。

 ちなみに、私が係わっていたのはステージ作りの部分だけで、弁護士が契約を扱っていたのと同様、ビザは専属の旅行代理店へ任す態勢が整っていた。したがって、その問題は状況として知っておけばじゅうぶんであり、日本のスタッフがそこまで詳しく私に説明する必然性はないのである。誰かがヨーロッパまで飛ばなくてはならない状況を理解できようが、私とは無関係の話なのだ。どうせ旅行代理店が自分達のスタッフを送るしかないだろう。

 ともかく、状況としては“ジョージ・クリントン”一行の来日契約こそ済んでいるものの、日本の入国ビザを取らない限り実現できない。誰かがヨーロッパへ飛び、現地の日本領事館でビザを取らないと話は壊れる。“ジョージ・クリントン”一行(総勢30人以上)のような翔んでるバンドのメンバー全員からパスポートや写真その他の必要書類を出させたり、ビザが取れるまで彼らのグルーピーと混ざってツアーへ同行するのは大変だ。旅行代理店のスタッフでそこまでやれる人間がいるだろうか? プロダクション関係の人間ならバンドのメンバーは扱えても、日本領事館に押しがきくだろうか?

 脳裏で様々な疑問を浮かべるうち、相手の話は終り、

  「まさか、このぼくに行ってくれなんて・・・・・・」私が冗談半分で聞くと、
  「じつは、そうなんです」応える声が笑ってる。

 自分では切り出せなかったことを私が言って、ホッとしたのだろう。その安心した声を聞くと断り辛い上、「これを出来るのは横井さんしかいませんから!」と乗せられた私は、深く考えもせず引き受けてしまった。受話器を置いて考えてみると、かなりきつい仕事だ。まず日本へ飛び、メンバー全員のビザ申請書類を領事館から戻す。それを持ってヨーロッパに着くと、メンバー各自から申請書類で欠けていた写真その他を集めて日本領事館へ行く。その日が駄目なら待つ余裕はなく、次の公演先で試みるしかない。

 いやはや、面倒な仕事を引き受けたものだと後悔しても遅すぎる。また、引き受けた以上、やり遂げないと自分の気が済まない損な性格だ。帰って以来、開かずの鞄を持った私は、7月16日の朝、気分も新たに再びL・A・X(ロサンゼルス国際空港)を飛び発つ。 (続く)

横 井 康 和        


Copyright (C) 1998 by Yasukazu Yokoi. All Rights Reserved.

空中四万哩(その2) 目次に戻ります 空中四万哩(その4)