はじめに

これから3回にわたって、少し趣向を変えた旅行記をお届けする。読者の中でご記憶のかたもおられると思うが、以前「昼下がりのピカデリー・サーカス」で登場したレスリー・ロウは私の30年来の友人である。ロンドン在住のアメリカ人である彼女が、去年(1998年)の暮から半年間、東南アジアへ旅行した際、その旅行記を定期的に電子メールで送ってきた。ほとんどは多くの友人へ一括送信した手記であるため、個人的な手紙の要素が少なく、そこから一部を選びこのページで紹介しようと思い立ったわけだ。そんなわけで、年内は「ハリウッドからお届けする」代わり「ハリウッドに届いた」旅行記をお楽しみいただきたい。

横井康和    


レスリーの東南アジア巡り (その1)


インドからの電子メールに添
付してあったレスリーの写真

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 インドの僻地ゴアにある人里離れた川沿いのバンガローへ、ようやくわたしは辿(たど)り着いた。青と薄紫に塗られ、周囲をテラスが取り囲む2階建のバンガローは、客室が8部屋あり、1階は受付やオフィス、そしてキッチンや公共のバスルームだ。犬や猫なども住み着き、もともとあったヤシの木を利用したテラスから川を望む景色が素晴らしい。

 わたしの部屋は窓が4つ、そのうちの1つからはヤシの木越しの朝日が射し込み、居心地は良さそうである。シャワーとトイレ付なので他の部屋より高いが、1泊590ルピーから更に10パーセント引きと、今どき信じがたい値段だ。それでなおかつ、お湯はいつでもふんだんに使える・・・・・・出る時だけだが!?

 午前8時から午後11時まではバンガロー内でボリュームを抑えたムード音楽が流れ、物静かな雰囲気を醸(かも)しだす。時たま、静寂を破るのは犬の遠吠えぐらいだ。同じような宿泊施設が近くにもあり、散歩がてら覗(のぞ)いてみると、値段はもっと安かった。しかし、わたしのバンガローのほうが、片方は川、もう片方は海という立地条件や、光と影のバランスが良く、またすぐ隣にはヨガの教師が住んでいるので移ろうとは思わない。

 しょっちゅう停電や電話が通じなくなるのは、わたしがいるバンガローだけのことではないが、10分ほど歩けばSTDフォン、30分ほど歩けば最寄りの村にファックスもある。もう1つ今どき珍しいのは部屋の電気湯沸かし器で、やかんのコードを抜かない限り点きっぱなし、うっかりハンドルを持てば火傷しかねない。だが、水道の水は汲み上げた井戸水を濾過してあっても濾過器そのものが信用できず、飲み水をいったん沸騰させるため、この時代物の湯沸かし器はいわば生活必需品だ。

 こうした環境の中、週末を除いて午後3時半から6時半がヨガのクラス、午後7時半から9時はブレシングとリラクゼーションというのが、ここでの日課である。わたしはゴアが気に入った。1961年までポルトガルの植民地だったゴアはカトリックの影響が強い。ここへ来る前に訪れたインド北部と比べ、南部の住民は人当たりも柔らかく、それだけ住みやすい環境なのであろう。

 2週間の滞在中、わたしが借りた「ハル」という名の車はしょっちゅう動かなくなるオンボロで、走行中も乗客が無意識のうち歯を食いしばるといえば、乗り心地は想像がつくはずだ。ヨガの合間を縫い、わたしは「ハル」を駆ってゴア各地を訪れた。バンガローがあるゴアの南側を出発し、歯を食いしばり脂汗を浮かべながら北側へ着く。パーネム駅やマンドレム海岸を訪れたり、フェリーで川を渡ったり・・・・・・北側は南側より感じが良く、その北側でもアランボルから北へ2マイルほど行った辺りはほとんど未開発で観光客が寄りつかず、いるのは'60年代の生き残りかニューエージのヒッピーだけである。

 ゴア各地を訪れる際、何度となく言うことを聞かない「パル」と格闘するうち、わたしはだんだんコツがわかってきた。そして、頭の中ではこのオンボロ車が“2001年宇宙の旅”で登場する「ハル」のイメージと重なってゆく。メカニックのことは何も知らないわたしが、最後は見よう見まねでエンジン上部(訳注: エアークリーナー)のネジを外し、そこを掌(てのひら)で抑えるテクニックまで覚えたのだから!

 ともあれ、「パル」がしょっちゅう動かなくなるおかげで多くの親切な人たちと出会えたばかりか、貴重な体験もした。ある日、自分ではどうしようもないトラブルで助けを待つ間のことだ。どこからともなくいい匂いがする。時間を持て余すわたしは匂いの源(ソース)を探す。少し離れた道路の死角でサリーの裾をまくりあげ、腰の囲りに大きなビニール袋を巻いた女性を見つけ、

 「すいません、この匂いがどこから来るのかご存じですか? なぜビニール袋を巻いているんですか?」と、わたしは聞く     サリーを着たインド女性が太股を露出しているのも、それまで見たことはなかった     彼女が言うには、これから自分の庭へ水をやりに行くところらしく、そこが匂いの源(ソース)であり、ビニールもそのためだとか。そして、

 「見に来ますか?」と聞かれたわたしは、彼女のあとから小道を進む。着いてみると、ちょうど彼女の良人が地面を耕している。柄杓(ひしゃく)を使って水をやり始めた彼女の庭に植えられているのは、匂いの源(ソース)である満開のカシューや、パイナップル、パパイヤ、マンゴ、サトウキビ、ココナッツ、ハイビスカス、それらが茄子やトマトなどの野菜と入り混じってロンドン市内の1区画とほぼ同じ広さでひしめき合う。

 いるだけで心は和み、来て良かったと思いつつ、帰り際になると、訪れたことへ感謝の意を表し、彼女が自分の庭から選りすぐった新鮮な手みやげまでくれるのだ。こうした体験は「ハル」がまともに動けば出来なかった。その「ハル」は、車内へ「カリ」という名の神像を置いてから故障が少なくなったように感じるのは、ひょっとしたらわたしの気のせいかもしれない。

 ただ、なんといっても興味深い体験はヨガに尽きる。苦しみを伴う様々なポーズが、一方でははっきりと自覚できるほど効く。「アサナス(ポーズ)」によって、それが精神へ及ぼす影響は顕著だ。あるポ−ズが精神高揚をもたらすとすれば、またあるポーズは終わった瞬間、なんとも言いがたい開放感で心を包む。ブレシングやメディティーションが教えてくれることも多い。わたしの場合、ふだん左よりも右の肺を使って呼吸していること、あるいは喉を絞めすぎていることが自覚症状としてわかった。

 もちろん、自覚することとリラックスできることは別問題だ。逆立ちの状態で無我の境地に入った瞬間があることはある。しかし、何も考えないよう意識すればするほど心が騒ぎ出す。それを抑えてリラックスするため考案されたポーズは、傍から見れば時としてさぞや可笑しいだろう。たとえば、穴を掘って、そこへ首を突っ込み、椅子で足を支えながら何分間か肩で逆立ちをする感じ・・・・・・そのすぐ横が川獺(かわうそ)のいる川、牛や水牛の群がるこの辺りは、地球上でも未だ家畜が鋤(すき)を引く一角なのである。 (続く)

レスリー・ロウ        


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